2017.07.18 心をきよめる

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 近頃は、汚職とか収賄事件で、種々の人々が新聞面を賑わしているが、新聞やテレビに現われている人々は、実際に汚職や収賄をしている人の中の僅かの人数で、いわゆる運の悪かった人々といわれているのである。
 そして、こうした事件を引き起した面々の悪口がさかんにいわれるわけで、口ぎたくなくののしっているわけなのだが、果して、悪口をいい、口ぎたなくののしっている人たちが、自己の心を深くさぐってみて、自分がもしそうした立場に立ったら、絶対に汚職や収賄をしないといい切れるか、というとそうでもなさそうである。
 人間の心というものは頼りないもので、権力欲や物質欲に把われがちなのである。ただ法律に触れるとこわいという臆病な心で、汚職や収賄ができない、という人がかなり多いのである。
確かな正しい心で、やましい想いを出すことが少しもない、という人物はなかなかないものなのである。肉体をもった人間というものは大体利害得失で動いていることが多いので、よほど心がしっかりしていないと、つい贈収賄とか汚職とかいうことをしかねないものなのである。だから、やたらにそうした罪を犯した人の悪口雑言をいうより、そういう事件のあるごとに、自己の心をふりかえってみて、自己の心の中の小さな欲望でさえも浄め去っておくようにすることが大事なのである。
 あらゆる欲望に打ち勝つためには、常に自己が神の分生命であることを思いみて、神の完全円満性の中に,自己の想いを入れておく練習をする必要があるのだ。その方法を祈りというのである。
 自己の中の欲望をひたかくしにしておいて、人の悪だけを認めているようでは、とてもその人は神のみ心に入りきるわけにはゆかない。神のみ心に入りきらなければ、人間に真実の平安がくることはないのだから、誰も彼もいつかは神のみ心に入りきらなければならないのだ。そのためには、どうして 自分の心も他人の心も正直に認めて、自己の中にある誤った想念も、他人の誤った想念をもそのさまにしておいてはいけない。誤った想念は、すべて神からきたものではないので、それは消えてゆく姿として、祈りの中で神の大光明によって消していただかなければいけない。すべてをごまかして、いいや、いいやというような態度ではいけない。自他ともに、悪想念はすべて消し去っておかねばいけない。
 自己の本心を祈り出し、他の人の本心を祈り出してゆくことによって、この世はやがて清らかな世になってゆくのであって、やたらにお互いが他の悪口雑言をしているようでは、とても立派な世界ができるわけにはいかない。

神への郷愁 五井昌久著 より

毎日訪れる夕暮れ、今日もその時間が来た。そして今日も空が茜色に焼けてきた。
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変化してゆく光の中で、自然への想いと神へ想いが重なり合って、生かされていることへの感謝が湧き上がってくる。
月の国集会、新しい印が始まった。
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INFINITE FREEDOM



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