世界平和の祈りで人類愛の実践を    五井昌久


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 愛の最も深いものは人類愛です。人類愛の実践こそ、 最高の愛の生き方だと思います。 世界平和の祈りの実践は、 そのまま人類愛の実践なのです。 ですから世界平和の祈りをしていることは、 自分で人類愛などとは意識してやっていなくとも、 そのまま人類愛の行為となるのであります。
 自分のことさえ満足にできないのに、 世界平和など、 とんでもない、と思われる方もあるかと思いますが、そういう人は、 はじめは自分の運命改善の為にだけ、 世界平和の祈りをしていてもよいのです。 祈りつづけているうちに自分がいつの間にか、本気で世界平和を祈っていることに気づいてゆきます。 いつの聞にか自分の心が広くなり、 立派になっていることに気づくのです。
 世界平和の祈りというのは、 そうした祈りなのです。 禅宗の悟りのように、 自分で突きつめてするというより、 或る軌道に乗ると自然に車が走り出すように、 世界平和の祈りという、 神界ヘのエレベーターに乗りさえすれば、 その人はいつの間にか、肉体界と神界との道を自由に往き来できるようになるのであります。
 人間には、 各人それぞれの想念波動の磁場がありまして、 いつまでも同じ磁場を廻っていたのでは、 その人の過去世からの想念行為は変化しませんので、 その運命を変えようと思えば、 その磁場を広げるなり、 高めるなりしないとなりません。 ところが 一 体どうしてよいのか判りません。 そこで祈りが必要になって<るのです。 まして世界平和の祈りのような高さも広がりも無限のような光明の磁場に、 祈りによって引きあげて貰えば、 祈りだけで、 いつの間にか、 自分が立派になってしまうのも当然なのです。 何故かといえば、 自己の今までの想念波動の働き場所である磁場が、 神界にまで広げられ、そして、 その神界の光明波動によって、 今までの磁場も明るい磁場にして貰えるからなのです。

人類の原罪を浄める

 人間の想念の流れにも習慣的こ道がついていますので、 それが今いう磁場のようになってぐるぐる廻っているのです。仏教の言葉に輪廻という言葉がありますが、 人 の 想念行為 は輪のように廻っていて、 なかなかその輪の中をぬけられないものだ、というのです。 そしてその輪廻をつづけている限りは、 その人は神界に昇ってゆくわけにはゆかなぃのです。
 それが現在では、 世界平和の祈りのような素晴しい祈りができていますので、 この世界平和の祈リをエレベーターにして神界まで昇ることもかなり容易になってきたわけです。
これからは地球人類も、 輪廻転生の業生の生き方から、 本心のままの自由自在な生き方のできる、神の世そのままの生き方のできる世界をつくりあげくことになるのです。 世界平和というのは、 そういう世の中になることなのです。

 そういう世界になれば、 病も貧も不幸災難もすっかり無くなり、 誰も彼もが本心でつきあえるし、 死という状態も悲しいものではなくなる時代になるのであります。 そういう世界に 一 曰も早くならせたいと 私たちは世界平和の祈りの宣布に 一 心をかけているわけです。
 そういう時代がくる前に、 どうしても通らなければならない道は、人々の心をすベて、 神のみ心に合わせる、 という、 いわゆる波動調整の時代の到来なのです。 無神論者も唯物論者も誰も彼もが、 一度は、 心の汚れをすっかり取り払われる時がやがてやってくるのです。 それをしなけれぱ、 この地球世界は、天変地異か、 大戦争で滅亡してしまわねばならないのです。
 地球世界は今や大きく変ろうとしています。 いつまでも旧い殻にとじこもっていたり、自我欲望のとりこになっていたりしたら、 その人は、それだけの苦しみをなめなければならぬことになるのであります。
 人間はどうしても、 最後には神の子の姿を現わさずにはいられぬものなのです。 苦しみなく神の子の姿を現わす方法、 それが世界平和の祈りなのです。 キリスト教でいう人類の原罪とは、 肉体人間が神のみ心から離れ、 神の子の資格を忘れ果てたことをいうのです。

「純朴の心」著五井昌久より抜粋


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



2016年第224回目の世界平和の祈りの集会は、たくさんの守護の霊たちに囲まれ、7人で始まりました。
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INFINITE PEACE




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