何度も何度も読んで読んで、わが肉体に言い聞かせています。

s-コピー ~ 2013-08-13 017aaqas


 平和運動というと、衆を集めて会を開き、討論をし、決議案を出して、声明したり、反対賛成の抗議をしたり、あるいはデモをしたりするように考えられがちですが、本当の平和運動というのは、業想念を消し去る運動が一番で、業想念の波つまり神様のみ心に反する不調和の想いが一杯ある。そういう想いがあるうちは、どんな決議を出してもだめなんですね。
 やろうと思っても出来ない。自分では本当に愛したいのだけれど、愛せないというのがある。やろうと思うことがやれない。やらなければいけないな、と思うことがやれないことが随分あります。そのやれない想いというのは、やっぱり業なんですね。
 そういう場合にどうやったらいいか。無理にやれば余計な摩擦を生じさせて、体にその影響が来るとか、心が痛むとかなってくる。だから私達はそういう無理をしない。まず業想念を消し去る運動をやっているわけです。
 それにはどうしたらよいか。ただ祈ることより他にないです。
 人間というのはおかしなもので、言葉でしゃべったり、体を動かしてやらないと、働いているような気がしないけれども、実は寝ていても働いている。
 働き者は眠っていると無駄をしたように思うのです。ところが眠らなければ体が参ってしまう。眠っている間に体力が回復して、 一日の働く力が出てくる、カが湧き上ってくる。眠っている時というのは、働いている時間と同じように人事でしょ。働いている以上に人事なわけ。
 そこで今度は祈りということになる。黙って坐って祈っているから、全然働いていないかと思う。ところが祈っている時には、肉体がガタガタ働いている時の何百倍何千倍というような働きをしている。生命がうんと働いているのです。宇宙に向って働いている。光をうんと蓄えている。光をうんと蓄えてあるからこそ働ける。
 祈りとか睡眠とかいうものは、そういう力のエネルギーを蓄えておく時間なのですよ。その蓄えによって、肉体の働きがチョコッと少し働いても、すごい働きになるわけなんです。それを蓄えも何もしないで、只肉体だけを動かしたって、百円の資本で働くのと同じで、たいした利益はないんだ、とこういうことになるんです。
 やっぱり肉体が働く予備運動としても、蓄積する資本としても、祈りというのが大事なのです。祈りがなくては、肉体は本当の働きが出来ないのだ、祈りによって神様の霊的大光明を蓄積しておいて、それで働き出せば、肉体を忙しく動かさなくても、素晴しい働きが出来ているんだ、ということなんですよね。
 私達の運動というものは、祈りが根本というより、祈りがすべてですよ。祈りからすべてが発生するという、そういう運動なのです。


著者紹介― 五井昌久 ごいまさひさ



INFINITE PEACE






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