昭和50年に出された「平和を呼ぶ声」五井昌久著であります。


40年前、あのころは東西冷戦の時、一発の核爆弾で世界が滅んでしまうという時でありました。21世紀に入ってもなお、変わらずに世界中で民族、宗教、主義の違いで紛争、テロが起こリ、苦しんでいる人々がたくさんいます。

日本人として今本当に何を成してゆかなければならないのでしょう

少し長いですが読んでみてください。

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日本自身の根本政策の確立を

 世界は一つ、という標語は、東京オリンピックのものでしたが、真実に世界が一つにならなければ、どうにもならない事態が、次第に地球人類の運命として迫ってきております。
 インドが核爆弾の実験をしたことなども、その一つのことであります。米ソ仏英中と五ヶ国だけが持っていた核爆弾は、インドが核実験をしたことで、あらゆる国々を核武装をせねばいられぬような状態に追いこんでしまうことになりかねないからです。
核爆弾の数は、現在でももうすでに、地球人類を全滅させても余りある程の数になっているのですが、これが小さな国々までも持つようになったら、いつどこで、どんなはずみで核戦争の火蓋が切られるか、はかり知られぬことになります。
 日本では目下核武装に反対しているように見えますが、世界状勢の変化によっては、いつその意見が変ってしまい、核武装国の方向に進んでしまうかも知れないのです。
 世界のどこの国もが、確固たる平和政策というものを持っていない現在の状勢は、全く砂上に築いた楼閣であって、いつ大混乱が起こるか目も放せません。
 こういう時には、他国の動きにばかり目をむけていては危険です。日本なら日本自体のはっきりした根本的な政策というものを確立しなければなりません。現在の日本の政治には根本の政策がありません。その場その場を処理するだけの枝葉の政策しかたてられておらないのです。
 日本は根本的には、米英等の自由主義国の陣営の一員としての建前が定まっている、などという政治家もいるかも知れませんが、そんなものは日本の根本の政治政策ではありません。それこそ変化変減する枝葉的政策であります。
 西欧陣営も中ソ陣営も、すべて変化変滅しているもので、地球人類の根本の生き方でもなければ、日本自体の生き方でもありません。それはただ、その場その時々の枝葉的生き方なのです。
 そんな枝葉の政治を根本政策だなどと考え違えしていまと、中国が核武装したから日本もしなければなどという、猿まね政策しかできなくなります。 日本は常に日本自体の政治政策で他国に伍してゆかねばなりません。
 確固とした根本の建前がありませんと、いつでもふわふわした落ちつかない政治政策になってしまい、日本の天命を果すことができなくなり、地球人類の減亡を止めることが不可能になってしまいます。
日本が日本の天命を完うすることができなくなれば、 日本という国がこの地球上に存在する意義が失われてしまいます。

世界は一つ

 地球上に幾つもの民族があり、百にも余る国家が存在しているのも、みなそれぞれの天命を完うするためにあるのであって、 お互いが争い合い恨み合ってこの世を渡ってゆくためではありません。 すべて地球人類に神のみ心を現わすために存在しているのであります。それが現状では全く反対でありまして、心から和合し合い、助け合っている国家や民族がどれ程あるでありましょうか、それはすべての国や民族が、自らの天命の何んたるかを知らないからなのであります。
 何人たりとも、いずれの国家たりとも、この地球を滅ぼしたいものではありません。自分たちがこの地球上に永存したいために、種々と苦心しているのです。自国が永存したければ、他国とても同じように永存したいのです。自国が裕福でありたければ、他国も同じょうに裕福でありたいのです。
 ところが、個人も国家も、どうしても、他人や他国のことは、自分や自国とは同じようには考えられないのであります。どうしても自己本位になってしまうのです。そこから地球人類の不幸が生れ出ているのであります。
 世界は全く一つなのです。他国を不幸に追いやって、自国だけが幸せであり得るわけがありません。他国を不幸に追いやったその分だけは、必ず自国にやがて不幸として巡ってくるのです。これは因縁因果の法則で、個人だけの問題ではありません。国家も民族もやはり同様の法則に支配されるのです。
 世界が完全に幸福にならなければ、一国の幸福ということはありません。幸福そうに見えてもそれは一瞬時のものに過ぎません。それは過去の歴史を通してみればはっきりわかることです。栄枯盛衰夢のごとしとは、あに平家の物語だけではありません。
 しかし人間というものは、よくもこりずに同じようなことを繰り返すものです。昨日の強国は今日の強国ではなく、武力で治めた権力は、やがて武力によってくつがえされる、という歴史的事実をいやという程みせつけられていながらも、やはりその歴史と同じようなことを今日でもやっているのであります。
 それは昔程表面きった権力欲や武力による現わし方はしていませんが、煎じつめればたいした違いはありません。いや昔以上に恐ろしい原水爆の威嚇による権力保持の国々があるのであります。

日本は核武装をしてはならない

 今日の国家間の権力争いは、直ちに地球世界滅亡のスイッチをひねったと同じことになります。 攻めるも守るも、今日程はっきりと武力をもってしてはいけない、とわかりきった時代はありません。
 敵の攻撃を防ぐためにはどうしても武力を増す必要がある、というならば、中国が米国の原水爆の威嚇の前に、自国も原水爆を持って対抗する、といっても、これを非難することはできません。もし非難でき得る国があったら、その国は原水爆に限らず、敵に対するとして如何なる武力の増強もしてはいけないことになります。
 日本がもし、中国を烈しく非難でき得る立場をとるとしたら、自らが絶対に武力の強化をしてはならぬ立場をとってからでないとできないことなのです。何故ならば、敵に対抗して武力を固めるという立場を取っている以上は、やがては必ず原水爆を保有しなければならなくなります。
 世界の武力は日増し年増して強化されることは間違いないことで、こうした世界の武力に対抗するには、ただ単なる武器や兵力の増強だけでは到底間に合いっこないからです。世界の武力は、好むと好まぬとにかかわらず、核兵器時代になります。もうそうなりかかっています。その時の日本の態度が一番大事なのです。
 如何なる国々が核兵器を持とうとも、日本は絶対に核兵器を持たぬ、という固い決意が日本の政府になければ、これは大変なことになります。日本の天命は全く果されなくなります。
 それだから、現在からもっとしっかりと根本の在り方を定めておかねばならぬというのです。今迄も何度でも申し上げておりますように、日本は大和の国であり、日の本(霊の本)の国であります。世界を平和にするための中心となって働かねばならぬ天命を持っております。何がなんでも、世界の闘争の渦に巻きこまれてはならない、という大決意がありませんと、もし敵が攻めてきたら、それを防ぐためという名目で武力を増強してゆきます。そういう想いがある限りは、限りなく武力の増強をつづけなければなりません。それはやがて核武装につづいてゆくのであります。
 そういう線で軍備を考えている人々が、核武装は絶対にしない、といい切れるものではありません。それはその場限りの言葉であって、絶対などという強い決意のある言葉ではありません。武力増強という考えは、現在の一番最高の力である核兵器にまでたどりつくことは理の当然でありまして、どうしても世界の武力競争に押されて、そこまで行きついていってしまうのです。これが業想念波動の恐ろしいところなのです。.
 日本が滅びるか滅びないか、地球が減びるか減びないかという時なのです。そうした一時逃れの言葉や考えで政治家が事を運んでゆくようではたまりません。
 日本はあくまで、大調和達成の中心国であり、世界平和樹立の指導国でなければなりません。嫌でも応でも、日本はそうした天命を持っているのであります。
 今日まで核爆弾の悲惨な洗礼を受けたのは日本が唯一の国です。何故日本だけが唯一の原爆洗礼国となったのか、それはいうまでもなく、日本の天命を日本人にはっきり示すがための神のみ心でなくてなんでありましょう。
 こんな悲惨なこんな悪魔的な武器を、絶対に人類に使わせてはいけない、という神の慈愛のみ心を、いやという程、日本人の心に沁みこませるためであったのです。日本こそ日本人こそ、真に完全平和を望み、世界平和のために、如何なる武力の威嚇も、武力の誘惑にも把われず、真っしぐらに、天命の道を突き進んでゆかねば、日本も世界も減亡の淵に追いやられてしまうのであります。

平和世界を築くためには勇気がいる

 しかしながら、平和世界を築きあげるということは、個人的にも人類的にも、実に大変に勇気のいることであって、単に戦争は恐ろしいから嫌だなどというような、弱気からでた平和論では駄目なのです。真に平和世界をつくりあげるためには、 武器を持って戦う以上の様々なる勇気ある行為が必要なのです。
 自分の心に湧き上がる憤満や怒りや恐怖に勝たねばなりません。他から仕向けられる挑発行為や侮辱にもよく耐え得なければなりません。
 昔キリスト教徒が、十字架上の処刑を覚悟で、キリストの踏絵を踏まなかった行為とか、その反対によく自已の行為として為し得るかどうかを、しっかり自分の心に確めてみなければなりません。
 それ程の勇気がなければ、軍備反対などと大きな声でいえるものではないのです。ただ単に生命が惜しいから、悲惨な事態が起こるのが嫌だから、戦争を起こす軍備はしないのがよいのだ、ぐらいでは、とても自国が他国に犯かされる運命を防ぐわけにはゆきません。地球世界に渦巻く業想念波を、そんな生易しい想いでは、とても防ぎきるわけにはゆきません。各国各民族が持つ権力欲や物質欲は、それを代表した大国間の戦争行為となってゆくわけで、武力の優劣が、その国家の発言力や主張の裏づけとなっているのです。
 ですから、各国が武力を増加しようとするのです。各国の武力に和して、しかも自国は武力無しでいこう、というのは、各国の武力以上のなんらかの力がなければなりません。

武力増強よりまず国民を平和精神に結集させよ

 軍隊の無い独立国は存在しない、だから日本も確固たる軍備を持たなけりやいけない、というのが自衛隊をはっきりと軍隊として、軍備の増強を計るべきだという、憲法改正論者の論議です。
 今日の世界情勢からみれば尤もなる議論であり、これを否定するからには、武力以上の力を持ち得る方法を知っている人でなければならないということになります。・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・

 ただいたずらに軍備撤廃とか、核兵器廃止とかいっていても、それは各国の心を打つほどのものとはなりえないのです。それを言うなら先ほども私がもうしましたように、自国がすべての軍備を撤廃してでなければ大きな声では言えないのです。
 そういうことを言うよりも先に、否、同時でもよい、真実自国が丸腰になっても、一兵の軍人がいなくとも、世界の武力に和してゆけるという強い信念、たくましい勇気がなければならないというのです。もし、日本が全く軍備がなければ即座にソ連などが侵入してくるかもしれないのです。そして、日本国土において、米中ソの日本争奪戦が起こるかもしれないのです。といって軍備増強したためにかえって、日本が中ソの核兵器攻撃を受ける立場になるかもわからないのです。しかしどんな事態が起こっても、自分たちの平和を祈念する気持ちは真実の人間の生きる道なのだ、という強い信念のもとに国民の気持ちを世界平和の一念に結集させなければなりません。国民の気持ちを、何を置いても世界平和の道を進まなければ、というほどの固い決意にまで持ってゆかずにいて、軍備増強を否定するだけでは、とても国の安定はできません。
 まず国民の気持ちを、世界平和を祈念する想い一筋に結集する運動を推進し、軍備のことや外交問題のことは、そのあとのことにしていくことが、民間指導者としての賢明な道であると思います。





私は一人の日本人として
「世界人類が平和であれ」という神の御心をこの地上に表わすために、祈りによる平和運動をこれからもたゆみなく続けていきます。

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