寒風膚(はだ)をさす峻烈(しゅんれつ)な大気は、人の魂をきりりとひきしめさせて、私は好きである。
春の季節は、勿論好ましい季節だが、この厳冬の膚をさす寒風は、魂をよみがえらせるようなひびきをもっている。
昔私は、健脚をほこっていたので、たいがいの道のりは、車にも乗らず、歩きつづけたものである。春は花々を賞(め)で、冬は、魂をきりりとひきしめて、自然にとけきって歩いていたものである。実に歩くことは、いいことである。現在のように地球の業の浄化のために、昱修庵(いくしゅあん)を一歩も出られず、祈りつづけていると、そうして歩いていた頃がなつかしい。
この浄化のための祈りが終つたら、又再び歩いて歩いて歩きまくりたいものである。
天は父、大地は母、天の父を仰ぎ、大地の母をふみしめていると、天地の恩をひしひしと身に感じてくる。 老子さんがいっておられたが、大地の歩みの一歩一歩を、おろそかにしてはならない。 一歩一歩の歩みに、感謝をこめて歩くのだ。という言葉が今でも私の心の奥底でひびいている。急ぎの用や、遠い所は勿論車を使つてよいが、人間は歩くことの大切さをわすれてはならない。
祈りということでも、ただ座つて祈らなければならないということではない。一歩一歩の歩みの中で、世界平和の祈りが、なりひびいているようになることが望ましい。
天に和し、地に和し、山川草木、鳥獣に融合しているのが世界平和の祈りである。人間の生活の中では、よほど立派な人でも、すべてに和して生きていくことはむずかしい。そのおぎないを、世界平和の祈りがつけてくれるのである。
世界平和の祈りは、救世の大光明と、守護の神霊と、肉体人間の一体化によって、なりひびいている祈りである。だから、肉体人間のたらざるところは、神霊方が、すべておぎなって下さるのである。 座つて祈り、歩いて祈り、仕事をしながらも、その祈りの中で、生活できるのが、世界平和の祈りなのである。自分の環境や立場にこだわらず、空気を呼吸するように、世界平和の祈りを祈っていこう。strong>



著者紹介 五井昌久
大正五年東京に生まれる,昭和二十四年神我一体を経験し、覚者となる,白光真宏会を主宰,祈
りによる世界平和連動を提唱して、国内国外に共鳴者多数,昭和五十五年八月帰神(通去)する


ss-2013-05-17 012aas


世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます



「人間と真実の生き方」

人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、つねに守護霊、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。
 この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
 いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真(しん)の救いを体得出来るものである。




今日は、第212回八ヶ岳月の国集会でした。人数は少ないながらも世界平和の祈りを響き渡らせたのでありました。


INFINITE GRATITUDE













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