第205回 月の国集会が開催された。緑の中、川の流れる音を聞きながら、
エディさん亡き後は人数こそ少なくなってしまったが、地元の同志で完璧に世界の平和を祈り続けている。
s-2014-07-12 230

 平和連動というと、衆を集めて会を開き、討論をし、决議案を出して、声明したり、反対賛成の抗議をしたり、あるいはデモをしたりするように考えられがちですが、本当の平和運動というのは、業想念を消し去る運動が一番で、業想念の波つまり神様のみ心に反する不調和の想いが一杯ある。そういう想いがあるうちは、どんな決議を出してもだめなんですね。
やろうと思つても出来ない。自分では本当に愛したいのだけれど、愛せないというのがある。やろうと思うことがやれない。やらなければいけないな、と思うことがやれないことが随分あります。そのやれない想いというのは、やっばり業なんですね。
そういう場合にどうやったらいいか。無理にやれば余計な摩擦を生じさせて、体にその影響が来るとか、心が痛むとかなつてくる。だから私達はそういう無理をしない。まず業想念を消し去る運動をやっているわけです。
それにはどうしたらよいか。ただ祈ることより他にないです。人間というのはおかしなもので、言葉でしゃべったり、 体を動かしてやらないと、働いているような気がしないけれども、実は寝ていても働いている。
働き者は眠つていると無駄をしたように思うのです。ところが眠らなければ体が参つてしまう。眠つている間に体力が回復して、一日の働く力が出てくる、力が湧き上つてくる。眠つている時というのは、働いている時間と同じように大事でしょ。働いている以上に大事なわけ。
そこで今度は祈りということになる。黙つて坐つて祈つているから、全然働いていないかと思う。ところか祈つている時には、肉体がガタガタ働いている時の何百倍何千倍というような働きをしている。生命がぅんと働いているのです。字宙に向つて働いている。光をうんと蓄えている。光をうんと蓄えてあるからこそ働ける。
祈りとか睡眠とかいうものは、そういう力のエネルギーを蓄えておく時間なのですよ。その蓄えによって、肉体の働きがチョコッと少し働いても、すごい働きになるわけなんです。それを蓄えも何もしないで、只肉体だけを動かしたって、百円の資本で働くのと同じで、たいした利益はないんだ、とこういうことになるんです。
やっばり肉体が働く予備運動としても、蓄積する資本としても、祈りというのが大事なのです。祈りがなくては、肉体は本当の働きが出来ないのだ、祈りによって神様の霊的大光明を蓄積しておいて、それで働き出せば、肉体を忙しく動かさなくても、素晴しい働きが出来ているんだ、ということなんですよね。
私達の運動というものは、祈りが根本というより、祈りがすべてですよ。祈りからすべてが発生するという、そういう運動なのです。

著者紹介-五井昌久
s-2012-12-19 027のコピーaaaas3


INFINITE PEACE

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