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人間が一つの仕事を成し遂げてゆくためには、どこか楽天的なところがないといけない。今日までに大きな仕事をしてきた人で、楽天的な心をもたぬ人はあまりいない。
 神経も行き届き、知識も深く、行動力も備わっているとしても、明るい楽天的なところのない人は、どこかで崩れてしまいがちである。 
 国を想い、人類の運命を憂い、なんとかして国や人類の運命を善い方向に持ってゆこうと考えている人でも、あまりにその事柄にとらわれていて心に余裕がなさすぎると、その運動は挫折してしまう。
 何をするにも、思いがとらわれてしまうと、その人の本体から流れてくる、天与の力がそこにとどこおってしまって、生きた力にならなくなってしまうのである。
 楽天家というのは、そういうとどこおった想念のない、天に通じた明るい心の表れたものなので、いったん運命がとどこおったとしても、その楽天的な想いの波を通して再び天与の力が流れてきて、運命は改善されてゆくのである。
 といって、どうにかなるさ式の生き方を楽天というのではない。真実の楽天家というのは、常に人事を尽くし切っているところから生まれてくるものなので、そこに心の余裕が持てるのである。人事を尽くして天命を待つ、という気持ちが楽天に通じてくるのである。
 私は、それを、天命を信じて人事を尽くせ、というように説いている。なぜ天命を先に出して、人事を尽くすことを後にしたかというと、まず人間は、自己が生きている、この世に生かされている、ということに何らかの天命のあることを信ずることが非常に生きる上において大事であるからである。自己の天命を信ずる、という信仰的な気持ちになると、自ら自分の生き方に張りが出てくる。張りが出てくるとあらゆる事柄に人事を尽くしたくなる。
 世の中には、何事につけても、消極的で否定的で、物事を悪いほうに悪いほうにとりがちな人があって、何としても楽天的にはなりえない人がある。こういう人が楽天的になるには、どうしても信仰の道を通らなければどうにもならない。  
 自己が神の分け命であって、神の一つの指名をもってこの世に生れ出たものである、という信仰をもつことによってのみ、この人は楽天的になりえるのだし、物事を成就し得るのである。すべてを神のみ心に投げ入れた時ほど、その人の心が明るく強く逞しくなることはない。何があっても、どんな逆境に立ち至っても、崩れ折れることのない楽天家になるには、神との一体感を観ずることが第一なのである。

五井昌久著「神への郷愁」より

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