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私の本願は、全ての人間に神の存在を知らせ、人間は業生ではなく、光の子、神の子なのであることを知らせたいのだ。
どこまで悩んでも、いかに苦しんでも、救われぬのが人間である、という迷妄を覚まさせるために、私は働いているのである。
ただひたすら、その人の運命の好転を祈る愛念だけで、人に対しているのである。
いかに達者な弁で真理の道を説いても、心に愛の薄い人は、その姿に光が薄いし、何も説けずに、ただ黙ってその不幸な人の開運を祈っていても、愛深い人の姿は、光り輝いて見えるのである。
愛は光であり、光は即ち神である。
真(まこと)の行いは神の行いである。愛の黙想は光そのものである。愛に充ちた真理の言葉は、神の言葉である。
あの人を善くしてあげたい、と持ったら、まず自分が光にならなければならない。光になるとは、愛そのものになることである。
真摯な愛の祈りと、無邪気な明るさ、運命を信ずる楽天、こうした要素が、神に通ずる心であり、いかに祈っても、邪気ある心、暗い心、不安の念(おもい)などがあっては、神の心に触れることはできない。
不安の心多き人、暗い心の人たちは、常に天を仰ぐことを実行するとよい。天からはいつも、陽気が降ってくる。たとえ雨や曇りの日であっても、天に心を向けることが大事である。天に心を向けると、いつの間にか、心が軽く明るくなるのである。そして次のように祈るとよい。
”神様、どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え、どうぞ、私を愛深い私にならしめ給え“と
その祈りを毎日欠かさず続けていることは、細かい種々な願い事をする神詣(かみもうで)、仏参りより、はるかに、はるかに、その人を高い境地に導いてくれるものである。
立っていても、坐っていても、歩いていても、寝ていても、そんな形のことはどうでもよい。ただ、ひたすら、愛深い自分になることを祈りつづければよいのである。
定まった一時刻(いっとき)の祈りよりも、常に心に抱いていた想念(おもい)のほうが余程効果があるのである。だから、いつも泣きごとや、ひがみごとや、うらみごとや、病気の不安などを想いつづけていたら、その想念の作用で、その人の運命は、いつも暗く不幸なものになってしまうのである。想念は、運命に大きな作用を及ぼすことを忘れてはいけない。
“愛はすべてを癒すのである”
すべての不幸を打開するのは、愛の心が根底にある行動である。
私の祈りは、愛の祈りである。智慧は愛のうちに含まれていると私は思っている。
私の祈りは、自分が相手と一体になって、相手を抱いたまま、神の世界に昇ってゆこうとする祈りである。
祈りとは、まず自分の心を空っぽにすることである。それまでの自分をひとまず捨てて、神だけを自分の心に住まわせることである。
願いごとは、すべてを後まわしにすることである。神だけを自己に住まわせれば、その人に必要な願いごとは、すべて叶うのである。
ただ、神だけを想うことである。愛だけを行ずることである。
人間が、自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ、守護霊に自己の運命を委(まか)せればよい。守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神さま、ありがとうございます、と常に感謝していればよい。この心が神への全託なのであり、守護霊の活躍を充分にさせる一番よい方法なのである。
この心でいれば、その人の行動はおのずから、調和した整ったものになり、生活は楽しく楽になるに決まっているのである。何故ならば、守護霊、守護神、と真っすぐにつながり、そのつながりによって、その光によって、業生の因果因縁の渦巻きからいつの間にか離脱でき、分霊本来の光が直霊(神)につながり、肉体をもったままで、人間神の子の実観を、真(しん)に体得できるのである。
私は、ただ、素直に、守護霊、守護神に感謝してその人、その人の生活の業(わざ)に励んだほうが楽に、自然に、神につながり、悟れる、と信じている。
いかなる困難な事態がその人の前に起ころうとも、守護霊の守りを信じえる人は、必ず、その事態は光明に転ずるのである。
“神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているんだ、しかも守護霊さんに守られながら生きているんだ、過去はない。過去は消えてゆく。どんな苦しみも必ず消えてゆくんだ”と、過去の心の誤りなぞ、ほじくり返さず、ただただ、光明の方に、心を向けていることが、自分を救い、人を救う、一番大切なことなのである。
愛と許しの世界をみんなで創ることが大切だ。
自分を愛し、人を愛し、
自分を赦し、人を赦す、
これが業(かるま)を超える最大の道。
みんな、いたわり合い、励まし合い、
足りない智慧や力は、守護霊さんにおまかせしよう。
守護霊さんが、きっとうまくやってくれるに違いない。

五井昌久先生「神と人間」より

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集まった人たち全員で朗読した。
まるで五井先生が今ここに現れて来たかのような愛深い響きにみち
そして、感動と感謝の気持ちいっぱいになっていた。


 いのりみち あいとゆるしで かるまこえ うたごえひびく とわのひかり   月





寒くなってきた
今年は柿がない。我が家の柿はちいさいながらかろうじて50位なっている。いつも頂いている柿の木はほとんど実っていない。秋の風情でもある柿のオレンジ色が今年は本当に少ない。こんな年もあるということだ。
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今日は、明治の蔵から出てきて漆もはげてしまって捨てるだけになっていたこの朱色のお椀・・・・・
どうにもぼろくその用をなさないものに見えるが、その素材がくりぬきの木であり何とかしたいという思いになる。
電気もガソリンもないころのモノ達はほとんどが手作り、そして自然の中で作られていた。
山に感謝し、木に感謝し、水に感謝し、天象に感謝し、自然に感謝し作られていた素晴らしいものである。そして作った人たちの温かいぬくもりが感じられてくる。

漆をはぐと桜の木で、こんな感じに変わった。
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もはや汁椀ではなくなり、小物などを入れる器に生まれ変わった。
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INFINITE POSSIBILITY





2009.11.03 満月の柿採り
我が家の柿の木
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この柿の木は家を建てた翌年の1994年、実のなる木があればいいなと標高1000mのところに植わっていた樹齢30年の庭木をいただき掘って軽トラで運んできたものである。根もほとんどなかったので枯れてしまうかもしれないと思っていたが、植えたところが湿気のある地だったことと標高が200m近く下がったことで元気に根付いてくれた。
まだ葉が落ちていないが採りどきなので採る。皆小粒で50個くらいであった。
実のなる木ではこのくらいの木だと1000個くらいは付いていることもある。今年はその木もほとんどなっていない。本当に柿が少ない年なので貴重な50個である。
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かきとれば こがらしふいて はをおとす そらひろがりて つきよのうたげ   月





江戸時代に建っていた蔵の壁板と
昭和30年代の電話のパーツを使い
平成の時代 また電話機として復活した。
今の電話のシステムがいつまで続くか疑問であるが当分は使える。
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明治時代の蔵の柱の電話と並んで記念撮影。
どちらもダイヤルのところにカメオが付いて完成した。
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このカメオは20年前にアネックスというアクセサリー製造の会社をしていたころに本物のカメオからシリコンで型をとってポリエステル樹脂で作っていたもので、あのころはプラスチックでなんでも大量に作っていたのを思い出す。
プラスチックは本当にすごい素材でどんなものにも形を変え丈夫で素晴らしい素材なのだが、大量生産の弊害か使い捨てという世界までも作っていってしまったようだ。
田舎に来てからもプラスチックでアクセサリーを作っていたが、自然の中に住んでいるとまわりに素材があってそれで作るので充分だといつしかプラスチックで作ることはなくなっていってしまった。

2009.11.05 家族写真
3日の文化の日、全員がいる夕方、影の写真を撮った。
家族の笑い声
何となくほっとする時間。

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ばんしゅうの ひかりのなかで あそんでる かげがひとつに まとまった    月


2009.11.06 鏡の額
廃材・・・蔵から出た大きな檜の桶・・・箍(たが)が取れてバラバラで我が家にやってきた。
檜のいい木であったので何かになるだろうと置いておいた。

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そしてようやく鏡の額に変わっていった。
額高さ75X上29X下32&高さ75x上26xした30、鏡55x20

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なんでもそうだが、古くなるとがたが来る。
それを直して使って行くのが、エコであるが、なかなか直すのは大変なことだ。
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このちゃぶ台も天板は欅の一枚板で大切に使われていたのだろうが足ががたがたでたためないように筋かいと木ねじで固定されてあった。そして足も1本は他のちゃぶ台から取って付けたのか変えられていた。
元のようにコンパクトにたためるようにしようと始めたが、簡単には修理できないことがだんだんわかってきた。
たかがこの白い木のところを付け替えるだけなのだが、これを付けるためにはすべてばらさなければいけず、なかなかどうして悪戦したのであった。

なにはともあれ無事にぐらつきもせず本来のちゃぶ台が復活した。

めでたしめでたし


きのいのち どうぐのいのち どこまでも ひととともに いきるはたのし   月

秋の野菜
大根、白菜、ホウレンソウ、野沢菜、チンゲン菜、長ネギ、ブロッコリー、グリーンボール
昼に近くの畑に呼ばれて採ってきた。
我が家の大根はまだまだ小さい・・・・

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やさいたち うつくしきかな だいちから むげんのいのち いまみのらせて   月



 
欅とヒノキで32,30、24cmのバックの持ち手を作っている。
2つで1セット。同じように作るのが苦手なのでなかなかはかどらない。
やっとのこと8割の彫りは終わった。
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2009.11.09 柱時計 の山
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ゼンマイ79台、電池が9台

昇仙峡の宝石博物館上の工場の奥の物置から頂いてきた。
凝り性の老人が集めに集めたが結局どうにも邪魔になってしまい持っていってくれたらうれしいということであった。
よくも集めたものだ。物置の奥に山積みしてあり、話では50台と言っていたが、家に帰り数えると88台あった。
ゼンマイ時計のほとんどが最終バージョンの30日巻きばかりで、その中でカレンダー付きが半分を占めていた。これは時計の心臓であるゼンマイの最高のものである。
半世紀前の昭和30年代から40年代にかけてそれまでの主流であったゼンマイが電気に変わり一気に消えていった。もうこれ以後はゼンマイ時計は全く生産されなくなってしまった。
精密機械の代名詞であった時計、それもゼンマイという手動で動く機械は電気の時代へ変わっていくのに時間はかからなかった。そして、時間の狂わない時計、止まらない時計、音のしない時計へと変わっていってしまったのである。

私は時を刻む音が好きで、
チクタクチクタクと時を刻んでいる音の中に地球の重力を感じるとともに生きている意味を感じてしまう。


一昔前のモノ達がゴミとなって消えてしまうのはもったいないと集めてくれた老人に感謝するとともに、この時計たちに新たなる命を吹き込みたいと思うわたしであった。



ぜんまいの とけいまんさい かえりみち かねがなるなる チンコンカン  月

わがやきて とけいよろこぶ ちくたくと みんなあわせて ときをうつ  月




バックの持ち手完成
大きいのがヒノキで、昔々の桶であった。
中小のは欅で、昔々の家の床の間の板であった。
使われなくなって、壊され捨てられてしまう時に私のところにやって来た。
そして今また新たなる形に変化し旅立ってゆく。
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最近は石や水晶から少し離れて木ばかり見つめている。
薪集めの季節なので木のことばかりが気になっている。
そして、木のモノづくりを楽しんでいる。
どんな硬い木でも石に比べたら柔らかい。
何よりも私の意思の通りに形が変わってくれるのだから本当にやさしくあたたかい。
燃やせばわかるが木はエネルギーの塊。
そして木はどんな姿になろうと生きている。
根がなくとも葉をつけなくても全く変わらず生きている。
人のそばで生きている。

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まわりの森も葉が落ちてだいぶ明るくなってきた。


もりのなか きにいかされて かんしゃして くらくをともに くらすはたのし   月



2009.11.11 時計の部屋
古時計がたくさん来たので置場がなくなってきた。

今アトリエのこの部屋は時計の音であふれている。
10台以上の時計がちくたくちくたくと時を刻んである。
作りかけの時計たちを仕上げていく。

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そうじして あぶらをさせば うごきだす きのはこほって あたらしきとけいに    月




東京へ
1989年に八ヶ岳に引っ越しをして以来、東京へは月1回は行くので240回は行っている。今回初めて妻が運転していってくれた。助手席に慣れていないので運転している時以上に緊張してしまった。そうはいってもよそ見をし紅葉の山々を眺めながらもいいものだ。

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東京へ行くまでのほとんどは山の中、人工世界の入口八王子インターが見えて来た
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こくみんの しょうちょうてんのう おいわいだ へいせいながく まだまだつづけ    月


 
2009.11.13 時計2台
時計2台
30日巻きゼンマイ時計
3週間はほとんど狂わない、4週目になると微妙に遅れてくる。
これには真中に青から赤に変わるゼンマイの目安があるのでわかりやすい。
月に一度巻けばいいというのは素晴らしいことである。柱時計は、昔は7日巻き8日巻き10日、14日、21日巻きとだんだん長くなっていくのが技術革新であり、この最高が愛知時計の60日巻きなのだがこれはゼンマイの振りが微妙であった。やはり30日巻きが一番いいメカであると思う。
今回の時計は堀田時計のCROWNFANである。
箱は無垢材であるのに表の木にべニアが使ってある。昭和30年から40年代はべニアの時代ということなのであろう。
その表の木を杉板に張り替えて彫った。
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SEIKO SONOLA TRANSISTOR
昭和40年代になるとゼンマイから電池時計に変わっていく。
これは磁石によって降り子が動きそれで正確にギアが回っていく。
これも表はべニアで作られているので杉板に変えて彫ってみた。
音も小さく静かな時計である。
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2009.11.14 雨上がり
一雨ごとに冬になっていくが

今日の雨は暖かい

午後にはやんで太陽も出た

ぬれると細くなっているススキも乾くと穂が開き、間もなく吹き出す風に種をとばしてゆくのだろう

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コナラの木もすっかりドングリの実をおとし自分の葉をかけて冬を越す

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このへんではナラの木が一番最後に落葉する

木の実は温かい葉の布団をかけられ埋もれてゆく

無駄なものが何一つないのが自然の営み

夕暮れも早くなってきた

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今宵は不思議な暖かさだ


ばんしゅうに すみかをかえる かえるたち はやくみつけて あたたかねむれ  月 




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今回完成したSONOLAはなかなか動いてくれなかった。
原因がわからず他のSONOLAと比べて検討していたが、一番単純な電池ボックスのマイナス部分のばねのほんのわずかな腐食で通電していなかっただけであった。動き出すと正確に時を刻んでいる。
この昭和40年代の時計も動かされることもなく家のどこかにしまわれ捨てられる運命であったが今また新しい顔で本来の時計として動き出した。

平成の時を新しき家で刻んでいってもらいたいものだ。


庭のウワミズさくらと桂の木はすべての葉が落ち
木陰のない季節に変わった。
空が大きく広がったが、太陽も遠くに行ってしまっている

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欅もハンノキも水木もイチョウも楓ほとんどの木は落葉したが
ナラの木だけはまだまだしっかり紅葉している
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夜には薪の炎がゆれ家を暖め
五右衛門風呂は体をしんまで温めてくれる
いよいよ冬支度の時期
薪で暮らす者にとって木とかかわる大切な時
そして木の温かさを実感する季節である

木に感謝
無限なる木々
INFINITE TREE。

2009.11.17 移動集会
新築したS家の平和塔建立と、八ヶ岳南麓で集会を開いている月の国、清里の森、そしてS氏の高根の里の3つの合同集会がとり行われた。山梨、静岡、長野、東京から24人が集まり集会前に平和塔も建立され、新築の木の香りのする家に全員の平和の祈りが響きわたり光の柱が立ち上がった。
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小雨まじりの天気、集会の物と座布団を15枚積み、そしてS氏の家がわからないということで出発前にあわただしく連絡し、長坂インター前で8台の車と待ち合わせ、すっかりカメラを忘れてしまい今回の写真は携帯電話で撮る。その撮り方が分からず苦戦した・・・・



きょうここに あつまるいみは かこのえん ともにいのりて ひかりのはしらたちあがる   月


ありがたや でんわにかめら ついている さてさていったい どうやってとるの   月






小諸にあるギャラリー麦草にクリスマス展の納品に行ってきた。
久しぶりに行くと、新しく薪ストーブの部屋ができ、外には鉄のオブジェがたくさんできていた。
しんこさんとはやしさんの二人の世界がどんどん作られていて、その中に私の作品も置かせてもらっている。
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今日はオカリナ教室をやっていて入れなかったが、森の中のとても素敵なギャラリーである。
ギャラリー麦草のブログも毎日更新されているので見てください。

八ヶ岳も雪化粧し、向かった浅間山はもうすっかり積もっている感じであった。
夕暮れ時の帰り道、2℃、1℃、そして標高を上げていく途中で―2℃と道にある温度計はさしていた。
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いよいよ氷点下の静けさのある美しい季節に入った




2009.11.19 夕暮れ時
薪を割り薪を積む
私は本当に木と共に生きている
四時を過ぎると陽は南アルプスに沈む
あたりはモノトーンの世界に変わり
わずかのあいだ風もやみ静かな時間が訪れる
地上のすべてが止まってしまう時間

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空を見る
雲は見る間に形も色も変えてゆく
遠くで鳥がなく
小川のせせらぎが聞こえてくる
そして風が戻ってきた
汗をいた体は急に寒くなり
時間は闇に変わってゆく

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いのちとは えいえんなのか つかのまか  ゆうぐれどきに じかんはとまる    月



INFINITE GRATITUDE






2009.11.20 セギはらい
川の掃除
我が家には東と西に水路の水が流れている。
このうちの東の水はほとんど使うことのない水路で誰も管理していない。この時期は枯れ葉や枝におおわれてしまい水は他の整備されたU字溝の方に流れて行ってしまう。いつもは仕方ないとあきらめていたが、部落の人にお前が掃除すればいいだけだと言われ、それならするかとひかり子と始めた。

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上流3,400mの分水のところからぼうぼうの水路をきれいにしていった。
今まで水面も見えないところが川幅2mくらいになり、また少し急流のところは音を立てて水が流れてゆく。水がキラキラしている。

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川の中を川を作りながら歩きつづけようやく家が見えてきた。
ほとんど流れがなかった川が見違えるほどの水量に変わった。

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おおわれた かれくさとれば みずひかり うつくしきかな いのちのながれ   月

くたくただ いいあせかいた ひるさがり かわのせせらぎ ねこたちときく   月



 
山中湖文学の森で三島由紀夫文学館10周年記念フォーラム
昔から好きな横尾忠則の講演に行ってきた。
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氏と三島由紀夫とのかかわりのある話
芸術は縦の線、礼儀は横の線その交わったところには霊性がある
ひびいてくる三島由紀夫の言葉であった。

文学館の裏に浅く丸い泉があって真中から泡とともに水が波紋を広げている
その波紋は無限に広がり続け、次元の違う世界へいざなってくれる美しさであった。
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ふじのもり みしまよこおの おもいでが だいちにきえて いま21せいき   月





2009.11.22 薪割り
風呂の薪はちょくちょく割っているが、薪ストーブ用の薪をいよいよ割り出す。
あちこちに積んである古い丸太から順に割っていく。今日は裏の物置の横に積んである2年前に切った赤松を割る。
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場所の関係で最近切ったのを割ってしまうこともあり、このローテーションがなかなか難しい。
もう今年の冬の薪は充分そろっているのでこれは来年の薪である。
考えてみれば五右衛門風呂と薪ストーブだけですでに21年暮らしているのだから人生早いものだ。周りには薪で暖をとっている知り合いも多いが我が家ほど薪を積んである家はないかもしれない。私の場合木は仕事の素材でもあるのでどんどんたまっていく。ほとんどは切って来た木か廃材である。よく集まるものだ。
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これぐらい割るといい汗がかける。




2009.11.23 雅の誕生日
昨日の22日は五井先生のお誕生日


お誕生日の歌 
   -みんなのお誕生日に唱えるようにー       
                           五井昌久

先生もその時赤ちゃんだった
おじいさんも おばあさんもあかちゃんだった
お父さんもお母さんも赤ちゃんだった
僕も君たちも赤ちゃんだった
お誕生日おめでとう
みんなのいのちおめでとう
神さま 本当にありがとう

赤ちゃんは一体どこから来たの
神さまの光のひびきから来たの
宇宙のいのちの奥から来たの
天地の調和の中から来たの
そうだ そうなんだ 尊いことだ
お誕生日おめでとう
みんなのいのちおめでとう
神さま 本当にありがとう



そして今日は妻の誕生日

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子供たちがケーキを作ってお祝いした。

INFINITE GRATITUDE




2009.11.24 猫の本能

雨の日以外毎日猫たちはネズミを捕まえてくる。
今朝は5匹のネズミを埋めた。
どこにこんなにいるかというと隣の畑の土手や畑の中にいる。
じっとしたまま動かない。しばらくするとくわえて帰ってくる。
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ほとんどは夜、夜中に捕まえてきて半分は頭とキモを残して食べてしまう。あとは何もしないまま人間へのプレゼントなのかリビングの真中に置いてある。
こんなに毎日とってくるようなったのはこのミカンが我が家に来てからである。
ミカンは他の3匹と違って猫缶は全く食べないでカリカリとネズミを食べている。
そして年上の猫たちもネズミ捕りの楽しさおいしさに火がついたようだ。
猫の本能だから仕方ないことかもしれない。


ねこにてん ねずみにきつね しかにさる やせいのもりは しんけんしょうぶ     月 



2009.11.25 緑満載

次々と野菜をいただく
今日は軽トラいっぱい畑に行っていただいてきた。
白菜は当分日に干しておくと年をこしても食べられる。
ねぎや大根は土の中に入れておく。
ことしは冬の野菜が豊作らしくあちこちから頂いた。大根はもう70本は埋めてある。

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ありがたや やさいのやまに かこまれて みどりなきふゆ あたたかなべする   月




2009.11.26 ぼたん
久しぶりに並べて写真を撮った。787866.jpg

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相変わらずである。欅の皮と欅である。
ちょっと小さめの1,5と2センチぐらいのをたのまれた。小さいとかえって難しい。というか手がつってしまう。

前日作った、イチイとリョウブ
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やはりこうして並べてみるとかわいいものだ。

INFINITE CREATION



ひかり子の部屋の窓を変える。
今までの窓は、今は無き峡北高校の旧校舎の窓で、曇りガラスであったのを透明なのに変えて93年以来17年使っていた。
他の部屋はペアガラスやアルミのサッシに変わり、隙間風がなくなっていたが、この南に面したひかり子の部屋だけは変わってなく風がある日は寒くなってしまっていた。
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何とかしようと思うものの丁度いい窓がないとあきらめていたが、考え方を変えて小さな窓をつけてしまえばいいということになり始めた。
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そして縁の下にもペアガラスがあったのを思い出し探しだすと120X21cmのが2枚、空いているところにピッタリはまる大きさであった。
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つぎはぎだらけであるがきちっと作ったのでもう隙間風は入らない。

学校から帰ったひかり子は大喜びであった。

INFINITE WISDOM


去年も考えたのにできなかった、
今年も結構考えて、我が家にあるペアガラスのサッシでは無理とあきらめていたが、そもそも学校の窓というのはどれも大きいのだ、普通の家ならもっと小さなのでもいいのかもしれないと・・・
ふっと思いはじめてしまった。
そして実にうまく行ったものだ。
まったく設計図もなく、家にあるものだけでできたのだから大成功だ。
いつもいつも結局ははじめてしまえばぶっつけ本番でうまくまとまるものである。そしてこんな作り方が私のやり方のようだ。


INFINITE CREATION






2009.11.28 森の中
土曜日は子供たちがみんないて下の子供の友達も来てにぎやかである。
午前中に長女と薪を割る。
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そのあと川を掃除する。この時期は枯葉枯れ枝がひっかかり川の流れがほとんどなくなってしまうのだ。まずは分水のところにたまった枯葉を取り除く。それでほとんどOKでだが川を歩いてきれいに流してゆく。
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我が家の川の土手にはシイタケの原木が枯葉に埋もれて置いてあり、そこで大きなシイタケを見つけた。川を下って森に入ると今度は自然のシイタケをみつけた。
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ひとまわり もりをめぐれば いろいろと であいたのしく あせもかく 月





2009.11.29 ひまな猫たち
「本当に暇でしょうがない。何かすることはないのか」とすり寄って来て天窓の修理をしている邪魔をする。いくらコーキングをしても雨漏りが治らないので今日は天窓の上に6尺の透明なポリカ波板を貼っていた。屋根は猫のたまり場でいたるところに足跡が付いている。天窓も猫にとっては通り道。波板の上はあまり好きではないので歩く道も変わっていくだろう。猫に見守られ無事に屋根仕事が終わった。
一緒にできることは何かといえば散歩である。
今の時期は散歩も夕方は寒いので陽のある時間に出かける。
私が呼ぶとみんな付いてくるから可愛いものだ。
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のんきなものだ。
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平和な時間だ。
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ねこたちと ひだまりさがし さんぽする われもねころび えなじーじゅうでん    月




2009.11.30 ガンダーラ
妻が働いている平山郁夫シルクロード美術館にいく。
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はるか遠くガンダーラの地から、そしてはるか昔の2,3世紀からよくもこの八ヶ岳にやってきたものだ。
首だけ、手が折れ足が折れ耳もない・・・傷だらけながらも静かなたたずまいである。
仏教の世界が石というものに形となってつづられていく。
何でもないガンダーラの石に命を吹き込む石工たち
子供から大人までのたくさんの石工たちのノミ跡に作る喜びをかんじる。
そこに祈りが生れ時を越えて世界を駆け巡り

文化財というものになって美術館というところにいる。
この八ヶ岳にいる。
ここにずっといていいと思うが、箱にしまわれて保存されてしまうのか・・・・・
いつかまた祈りの場、大地の上、太陽のもとにそして土に埋もれていくのかもしれない。

12月13日までは北杜市民は無料なので是非見たらいいと思います。

平山郁夫2008年の大作「祈りの行進・聖地ルルド・フランス」
ブルーがどこまでも深く霊性高い世界の色でありました。

この美術館もセメントという石でできている・・・・現代はあまりにも無機的で人間臭いところがない。
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