2014.06.24 いのりの道

母と一緒に昔のビデオを見て過ごしている。
子供たちの成長と老年を迎えている母の変化を見ていると忘れていた記憶がよみがえってきて、ただただ懐かしく、時の流れの早さを改めて感じ、一期一会を大切にしなければと思うのであった。
今、見ているのは2000年。21世紀に変わっていきなりやってきた祈りの道
すべての人たちが同じ祈りの道の上で出会えればと参加。

それは2000年1月元旦に、アメリカ アリゾナにあるネイティブアメリカンの聖地ビッグマウンテンに向けて祈りの行進が飛騨高山から始まり、そのサポートとして参加。この日は長野県原村のカナディアンファームから歩き始め、途中、我が家に昼食と休憩をとるために立ち寄ることになり、地域の人が出迎え、そして、自分たちも次の地まで歩いて参加した。
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忘れてしまっていた記憶が、ビデオを見ると鮮やかによみがえってくる。あのいのりの行進は今、どのような形で繋がっているのだろう。
大地を歩くことそのものが祈り。同行二人のお遍路さんや、聖地巡礼の旅と似ている。歩く人一人一人が祈りの中に入って生きる。その一人一人の平和の心が大きなつらなりとなって世界平和の原動力になっていく道。

私は、あの頃と全く変わらず、今ここにいて「世界平和の祈り」をしている。


INFINITE PEACE

INFINITE FREEDOM



世界は怪奇と幻想、オカルトと神話、瞑想と絵を描くことが常であった。
東洋も西洋もなく、全く無国籍な世界
その頃の部屋。
二十歳のころ
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ヒッチハイクで奈良まで行って、新薬師寺に何日も通って過ごしたころだ。
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21,2のころ
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オカルトの世界に入りながらも
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瞑想していた
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古い古いガスストーブで暖をとり、蠟燭もたくさんともし、般若心経を唱えていた。
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23,4
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霊界に行くようになってそんな絵ばかり描きだしたころ
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25の時に妻である雅に出会い、このおどろおどろしき部屋に驚いていたのを思い出す。もう30年以上経ったというのにちょっと前のことのように思い出されてくる。
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ストーブの写真以外はみんな同じ壁を撮った写真である。
どの写真もクリックすれば大きくなります


人生、昔を思い出すと歳をとったなと感じるが、絵を見るとそのころとあまり変わっていない。むしろ下手になり続けているようにも思う。

INFINITE FREEDOM

INFINITE YOUTH

INFINITE LIFE






2013.10.18 緑の思い出
同じ北杜市の隣町である白州の旧甲州街道の宿場町台ケ原に、緑のトタンの家があった。
緑のトタンというのは珍しく、初めて見たので新鮮で、立ち止まり吸い込まれていくように見入っていた。その緑が妙に懐かしく何なのだろうと考えていたら、16の時に買ったバイクの色、というか40年前の自分を思い出してきたのである。
其の時のバイク、YAMAHA MR50が浮き上がって見えてきた
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写真をクリックすれば大きくなります

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このころの2サイクルの原付バイクは90キロ以上はスピードが出たので、ものすごいスピード感があった。
そしてまだ運転して間もないころに、ウィリー(フロントアップ)してトタンとブロックの壁に肘を押し付けすりむきながら走り、壁に血をつけて走ったのを思い出した。血だらけになったが、バイクをこけさせなかったのでほっとした痛い思い出だ。
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何とも年をとったものだとこのトタンの家を見ながら思うのであった。



INFINITE GREEN



今、思い出してもかっこいいバイクであった。
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85年に買ってすぐに、ライムグリーンの色を艶消しブラックに、ホイールもすべて塗り替えた。
フロントのどろよけに鋲を打ったりして、マッドマックス仕様で乗っていた。そして86年、二人乗りでツーリングに行くにあたって、ヘッドライトの上にキャリアをつけたり、シート後ろにカブの荷台を取り付け、振り分けバックを付けられるようにパイプを溶接し、そこに網を張り、驚異的荷物を積める仕様になっていった。このパイプは、折りたたみ椅子の足を切って作った。どろよけも大きくしたりして完璧に2人乗りツーリング用に改造したのである。

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私と荷物の間の隙間に雅が乗ってどこまでも
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ひたすら走り9月の北海道を1月かけて周った。
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屈斜路湖の砂湯は9月ともなれば誰もいない。 砂湯につかって昼が終わってゆく。
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美しすぎるほどの朝を迎える
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何日ここで夕暮れを迎えたことだろう。鉄馬KL250はそばで静かに休んでいる。
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バイク3台でオンネト―湖に行った
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2人乗りに慣れた雅はよく荷物に寄りかかって眠っていた。
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オンネト―も何日もいた。
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大雪山荘で長逗留して、帰り道、富良野のダートでこけて、バイクに足を挟まれ2人とも動けず、車が来るまでの結構な時間、砂利道に寝ていたのを思い出す。
私は膝がけっこう深い傷で、その後パンパンになって、フェリーに乗り込み、新潟から土砂降りの中帰って来たのであった。

KL250はほとんど無傷で故障もなく、10年前、友達がほしいといってもらわれていった。
今でもどこかで走っているかもしれない。

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INFINITE KL

INFINITE GRATITUDE




2012.09.19 昔の思い出
やることの多さにやる気が出ない。
丁度いいあんばいに雨が降る。
今日も昔の写真を見てしまう。

20から、黒く塗った部屋で、頭を丸め、岩窟の菩薩ばかりを描いていた。
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そして夏
北海道には15の時から毎年一人で行っていて、7回目の22の夏である。来年もここで会おうと言って別れ、そして1年ぶりの再会。といっても10月末に別れて、7月に会うのだから10カ月たっていない。
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エイちゃん、けんちゃん、トミオ、そして私はハイランドという。他にも沢山仲間がいたが、このころが一番過激で懐かしい。

自由にあることの意味。ハチャメチャに過ごしながらも、一人一人の個性が溶けあってゆく。そこには、わざと追い込んでいく死と恐怖の世界、暴力的犠牲的な世界にいながら、バグワンの般若心経があり、禅宗の碧巌録があった。

みなヒッチハイク、トミオは乳母車を押してきていたり、エイちゃんはエレキ担いでこの入り口をくぐってきた。
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グーグルマップで見ると今でも家はあるようだ。最後に行ったのは23年前だ。北海道上士幌 ナイタイ高原牧場のレストハウスの500mくらい下にある。以前は牧場の上の素晴らしい展望のレストハウスがあったが、今は下に出来たようだ。けんちゃんはここの牧場で結婚したので、今でもいるかもしれない。
エイちゃんとは、2000年のいのちのまつりで20年ぶりに再開した。
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あれからまた12年がたったのだ。

トミオはどうしているだろう。他にもたくさんいた。リュック、ピンク、クモ、アパッチ、ガラス、ナミメ、ナンパ、コンブみんなどうしているだろう。


人生一度きり
この時この瞬間
一期一会の真剣勝負

今日も、ほんの少し写真のおかげで
思い出の時間を楽しめた。



INFINITE ENERGY




2012.09.15 昔の写真
夏が終わっていく

昔の写真を久しぶりにめくっている。
子供もいなく、自由気ままなころの
1984年の北海道、2カ月かけてバイクで旅した

摩周湖  27歳22歳の2人、あのころはまだはっきりとした自分の世界は見えていなかったころだ。ただ、2人で新しき世界を作りたいと土地探しをしていたころである。
すぐそばの屈斜路湖はいつも長逗留するところだ。
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足寄辺り  雅のバイクはYAMAHA DT125
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私のバイクはホンダGL400ウィングカスタム
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兜沼  ここで1週間くらいいて、利尻に沈む夕日を毎日見ていたのを思い出す。
雅も若い
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サロベツ原野   どこまでも風が吹いていた
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テントには全面絵を描いていた。般若心経、仁王、如来たちが並んでいたが、このテントは日光戦場ヶ原でろうそくの火が燃え移り、燃えてしまった・・・・・
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登別 大湯沼 今では考えられないが、自由にテントを張ることが出来て、夜、風がなくなると、この谷間に湯煙がたまり何も見えない世界となった。バイクのライトをつけても全く前が見えない世界は恐怖であった。突然風が吹きすべての世界が見えだして星空が美しく輝きだし安堵したのを思い出す。
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阿寒湖のそばにあるオンネト―湖 ここも行くと1週間いる
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毎年、上士幌の、ナイタイ高原牧場に行く途中にある大雪自然の家で過ごす。延べ日数で4,5カ月は住んでいるだろう。私にとっての自由の地だ。
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28年前、同じ年の敦君と雅と3人でいった旅は、帰りは青森から上高地まで行き、
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ついに、原村のカナディアンファームにたどり着いたのである。
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そこの主であるハセヤンに、「お前は男だろ、男なら家ぐらい自分で作ればいい」と言われたことがすべての始まりで、やる気と本気の世界がはじまったのを思いだす。
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それからは、目標に向かって、お金をため、土地を買い、家を建て、子供たちとともに・・あっという間に想像もつかぬ時が過ぎてきたものだ。
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結婚などどうでもいいと思っていた2人であるが、目標が定まっているし、親たちからもそろそろ子供はという無言の圧力もかかり、付き合って7年目、籍を入れ子供が生まれだしたのである。

その子供達も、24,21,17,14と大きくなってきたものだ。
人生本当に想像を超えた世界の連続だ。

常に今を真剣に、一期一会を大切に生きてきた結果であり、そして人生まだまだこれからなのである。

INFINITE PEACE

INFINITE FREEDOM

INFINITE GRATITUDE







1993年から1995年7月まで乗っていたトヨタの4WDのタウンエース
今と違ってナンバーを選べないころの7777である。
2010-07-01 007777のコピー
 
それまで乗っていたホンダのシビックが調子悪く、これと同じような絵を描いて愛着があり、ホンダに修理をしに行ったとき、修理か買い替えるかの選択をしないといけなくなり、丁度その近くの空き地に捨てられているこの車を見つけた。後ろのドアの窓が割れていて、シートがかけてあったがそのシートも破けていた。そしてサイドのスライドドアもぼこぼこで取り換えないとだめな車だったが、隠れていたナンバーをみると7777.  ナンバーにひかれて乗りたいと思い近くの家の人に聞いたら持ち主で、きちんと名義変更してくれるならとまったくのタダで頂いてきた。そしてすぐ近くのホンダで後ろの戸とサイドの戸を全然違う色だったが付けてもらい、車検もとって乗り出した。

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すぐにエアーブラシで絵を描き前にはPEACEと入れた。
そして、高野山へクラフトキャンプに行った帰り四日市の御在所サービスエリアでエンジンが燃え尽きてしまったのであった。レッカーで四日市のトヨタに運ばれそこの駐車場でお別れする羽目になってしまった。
その時の記念撮影


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15年がたち、今でもこの絵のような世界を作るべく変わらず八ヶ岳で暮らしている。
7月の暑い日にいつもこの車のことを思い出す


無限なる自由!!