2017.07.18 心をきよめる

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 近頃は、汚職とか収賄事件で、種々の人々が新聞面を賑わしているが、新聞やテレビに現われている人々は、実際に汚職や収賄をしている人の中の僅かの人数で、いわゆる運の悪かった人々といわれているのである。
 そして、こうした事件を引き起した面々の悪口がさかんにいわれるわけで、口ぎたくなくののしっているわけなのだが、果して、悪口をいい、口ぎたなくののしっている人たちが、自己の心を深くさぐってみて、自分がもしそうした立場に立ったら、絶対に汚職や収賄をしないといい切れるか、というとそうでもなさそうである。
 人間の心というものは頼りないもので、権力欲や物質欲に把われがちなのである。ただ法律に触れるとこわいという臆病な心で、汚職や収賄ができない、という人がかなり多いのである。
確かな正しい心で、やましい想いを出すことが少しもない、という人物はなかなかないものなのである。肉体をもった人間というものは大体利害得失で動いていることが多いので、よほど心がしっかりしていないと、つい贈収賄とか汚職とかいうことをしかねないものなのである。だから、やたらにそうした罪を犯した人の悪口雑言をいうより、そういう事件のあるごとに、自己の心をふりかえってみて、自己の心の中の小さな欲望でさえも浄め去っておくようにすることが大事なのである。
 あらゆる欲望に打ち勝つためには、常に自己が神の分生命であることを思いみて、神の完全円満性の中に,自己の想いを入れておく練習をする必要があるのだ。その方法を祈りというのである。
 自己の中の欲望をひたかくしにしておいて、人の悪だけを認めているようでは、とてもその人は神のみ心に入りきるわけにはゆかない。神のみ心に入りきらなければ、人間に真実の平安がくることはないのだから、誰も彼もいつかは神のみ心に入りきらなければならないのだ。そのためには、どうして 自分の心も他人の心も正直に認めて、自己の中にある誤った想念も、他人の誤った想念をもそのさまにしておいてはいけない。誤った想念は、すべて神からきたものではないので、それは消えてゆく姿として、祈りの中で神の大光明によって消していただかなければいけない。すべてをごまかして、いいや、いいやというような態度ではいけない。自他ともに、悪想念はすべて消し去っておかねばいけない。
 自己の本心を祈り出し、他の人の本心を祈り出してゆくことによって、この世はやがて清らかな世になってゆくのであって、やたらにお互いが他の悪口雑言をしているようでは、とても立派な世界ができるわけにはいかない。

神への郷愁 五井昌久著 より

毎日訪れる夕暮れ、今日もその時間が来た。そして今日も空が茜色に焼けてきた。
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変化してゆく光の中で、自然への想いと神へ想いが重なり合って、生かされていることへの感謝が湧き上がってくる。
月の国集会、新しい印が始まった。
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INFINITE FREEDOM



自然

静かにしていていいのだ
黙っていてもいいのだ
声高に情熱的に人を説きつけなくともいいのだ
あなたはあなたの優しさをそのままに
柔らかな微笑で人を見つめていればいいのだ
いかに狂熱的に人々を煽りつけても
どんなに巧みに人を誘い込んでも
そんな事で神様が人々に判るものではない
冬から春に季節が巡って
自然に花が開くように
風がいつしか温んできて
人々が自ら胸をくつろぐように
あなたの優しい愛念が
巧まず誇らず気負いもせず
いつも変わらず柔らかくそして豊かな温い
微笑をふくんだ物腰が
やがては頑くなな人々の
心のしこりをときほぐし
知らず識らずに神のみ手に
己が想いを投げかけさせる

あなたはそのまま静かにしていればいいのだ
黙って微笑していればよいのだ
そして心の中で
人々が神様の姿を一日でも早く現わします様にと祈りつづけていればよいのだ 

                                                   詩集{ひびき」五井昌久







政治の世界は誰が見てもわかる嘘がまかり通ったり、自国だけが良ければいいといった考えがまかり通る何とも悲しいありさまで、こんなレベルの政治がまかり通るならば、地球世界は危うくなりかねないのである。だがしかし、政治が世界を作っているわけでもなく、一人一人の意識が世界を作り上げているのであるから、心乱さず、心静かに、不動心で大調和世界に意識を向け祈り暮らしてゆけば、必ず調和世界ができてゆくのである。


INFINITE HARMONY



2017.05.02
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場を浄めよう  
  五井昌久


大宇宙の

あらゆるところに

それぞれの場がある

天の理念を地に現わす

大調和実現の場は一人一人の世界平和の祈りの中にある

この地球世界のひとところにでも

戦争につながる場があってはならない

一人一人の心の中に戦争か平和かの場があるのだが

人々はそれを知ろうとはしない

アメリカを責め中共を責め日本の政府に抗議をするよりも

自分の心の中の戦争原因を撲滅することが先決なのだ

人を傷つける想いを出しながら

争いの想いをもちながら

世界の平和ができるものではない

人類の一人一人が真実に自己の生命の場を光明化してゆくことこそ

何んにまして世界平和達成の大きなしごとなのだ

想いを不安にしてはならない

人を怨み憎んではならない

卑下高慢いずれも自己の本心から出ずるものではない

すべてを消えてゆく姿と観じた時

本心の輝きが増してくる

世界平和の祈りは個人人類同時成道の祈り

私たちはすべてをこの世界平和の祈りに託して日々行じているのである

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(「平和讚」所収)


世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうが材ます




2010-05-24 018

(一)

人間は神の分霊であり

神そのものであるのです

昔 常不軽菩薩という人がいました

すべての人にむかって

あなたは仏さまです 菩薩さまです

と拝んで歩きました

すると拝まれた人たちが

何 オレが仏菩薩であるものか!

と怒って 石をぶつけたり 棒で打ったりした

石をぶつけられ 棒でなぐられ 逃げながらも

あなたは仏さまです

あなたは菩薩さまです

と本当の人間の姿を拝んだということです

お釈迦さまの前生だということになっています

ほんとうはこのように

人間を神さま! と拝めるようにならなければいけない

ところがそんな奴を神さまと拝めるか というのが多い

顔をまともに見ては 神さまと思えない

それは相手の消えてゆく姿の部分を見ているんです

それを見ていてはいつまでたっても神さまは見えない

そこで私はどうさせるかというと

人間を見る場合

その人の肉体を見ない

肉体のうしろにいる守護霊さん守護神さんを見させる

息子が不良でしょうがない とすれば

息子のうしろの守護霊さんに

“守護霊さん有難うございます

息子の天命を完うせしめ給え“ とやる

夫が道楽者だとすれば

"夫の守護霊さん ああご苦労さまですね

こういう業の固りをよく守って下さいまして

有難うございます

どうか夫の天命を完うせしめ給“ とやるんです

そうすると 知らないうちに

相手の守護霊と自分の守護霊と一つになり

守護霊の力が 夫なり子供なりに働いて

業を消してゆくのです

夫が祈らず

子が折らず

妻が祈らないとするならば

自分だけでいいから

世界平和の祈りをするんです

その時に

迷っている夫 迷っている子供の名を呼んで

そのうしろの守護霊さんに頼むのです

それをつづけることです

そうしますと いつの間にか立派になります

必ず立派になりますよ  

私のやり方は易行道なんです

むずかしいっていう人があるけれど

むずかしいといえば何んだってむずかしい

人間悟ろうとするのはなかなかむずかしいです

むずかしいけれど私のやり方は一番やさしいんです

何故かというと

悩みをとってから拝め というのではない

悲しみをとってから拝めというのではない

汚れを清めてから拝め というのではないのです

汚れたままでいいんだ

病んでいるまま

悩んでいるままでいいんだ

そのままで世界平和の祈りの中に飛びこめば

世界平和の大光明がそんなもの問題にしなくて

消してくれるのだ

そう信じておやりなさい と教えているのです



神の子の人間なのだから

神さまが絶対に救わなきゃいけない

全部救うために

守護霊を遣わし守護神を遣わしているんだから

救うのは当り前

救われるのは当り前なんです

ただ消えてゆく姿ということが本当にわかれば

みんな救われちゃうのです


(二)


"世界平和祈る忽ち祈り人の姿光につつまれてあり"

という私の歌があります

どんなに悪いことを想っていても

自分がどんな業想念につつまれていても

あいつ嫌いな奴だ 死んじまえばいい と思っていても

世界人類が平和でありますように といったらば

自分は光につつまれているのか

という質問がありました


どんなに悪い想いが片方に出て来ても

世界人類が平和でありますように

という想いがあれば

それは光につつまれているのです

光につつまれているけれども

自分の中の光と

外の守護霊守護神の光 救世の大光明と

ぴたっと一つにならないと安心しないのです

やっぱり揺れているような気がするのです

ところが

世界平和の祈りをやっていると

中のものが世界平和の祈りをやるんだから

外の救世の大光明と合体してゆくわけ

合体してゆくうちに

だんだん光がひろがってゆく とともに

業想念がだんだんへってゆくのです

へってゆけば

なんか安心立命した

心からああ私は救われているんだなァ

ということが

貧乏なら貧乏なりに 病気なら病気の中で

ああ私は神の子なんだな

ということがハッキリわかってくるのです

だからやらなければだめです

どんな悩みの中にあっても

どんないやな想いの中にあっても

貧乏の中にあっても

病気の中にあっても

世界平和の祈りをしていれば

その人の周囲はズーッと光につつまれているのです

これは間違いもないことです

だから安心して世界平和の祈りをやればいいのです


(「大決意」所収)

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今日は、世界平和を祈る月の国集会でありました。 6人で平和を響かせ、祈りによる平和運動がより多くの方々に賛同していただけることを、この肉体が消えてなくなるまで広めてゆきたいと思うのでありました。




INFINITE PEACE

INFINITE HEALTH




 

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人間という者は欲望をなくせ、といわれても、なかなかなくせるものでなく、
恐怖するな、怒るな、哀しむな、執着するな、といわれても、その性情が容易なことでなおせるものではありません。  

法然、親鸞は、そうした性情をなおせなどとは少しもいいません。 

私たちもあなた方も、そうした肉体人間の想念感情においては、同じことなのだ、
そのような想念はどうでもよい、
怒ったら怒ったまま、泣いたら泣いたまま、
ただひたすらに南無阿弥陀仏と称名しなさい、

称名さえすれば、あなたがたは、極楽浄土に救われてゆくのだ、と教えているのです。 

 これは法然、親鸞が肉体想念(業生)と本心(仏心)とをはっきり区別して知っていたことを現わしています。




『日々の祈り』 五井昌久著 高橋英雄編 より




INFINITE LOVE




世界人類が平和でありますよう






2016.10.11 祈りと統一


世界人類が平和でありますように

天皇のいる国 日本。
やはり普通の国とは違う。
それはいったいどういうことなのか、
日(霊)の本の国 
大和の国 の天命
大調和精神の国
日本国の一人として21世紀の道を歩んでいきたいと思う今日であります。
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五井昌久先生の法話であります。平和憲法についても言っておりますので聞いてください。



世界人類が平和でありますように


INFINITE LOVE



2016.07.26 大決意
大決意

文明文化が進んでくると
自分でやらなければいけないことを
人にやらせたり 機械にやらせたりして
自分では悪いことをしていないような感じがする
たとえば
個人的に喧嘩して人を殺してしまえば
悪いことをした と自分でとてもいたみます
ところが国でやったということになれば
ちっともいたみません
人を殺しても 爆弾を落としても
いたまないわけです
それだけ人間はずるくなっている

ずるくなっているということは
表面に 悪いことも全部浮き上がってきているということです
というのは
宇宙の大変化の時ですから
波動が変わって来て
光りが余計に入って来て
内から押し上げて
地獄がそのまま肉体界に浮き上がっちゃっているのです
地獄はもう底にはないのです
地獄も天国も一緒のところにあるのです

地獄が浮き上がって来ているので
悪いことでも やること為すことがすべて大きい
たとえば今迄 喧嘩で殴っていた
それが今はロケットで核爆弾をとばす
ということになって やることが地球的規模になっている
地獄が現れているということは
消えてゆく姿で
やがては消えてしまう
底にかくれていたら
なかなか消すわけにはゆかないけれど
一遍 光で追い出して
表面に出してしまったわけですから
今度は 消す番なのです
本当に世界平和が出来る立場になるわけ
潜在意識の奥の奥に入っていた
人類の底にひそんでいたものが 全部出て来たんですから
ここで間違えれば滅びるわけです
たけども 神さまの方では
”滅ぼさない“とおっしゃっているんだから
滅ぼさないに決まっています
それで世界が本当に平和になるわけです
そのための祈りによる世界平和運動であり
宇宙子波動生命物理学の誕生なのです
ですから私たちのやっている運動というのは
世にも得難い大運動なのです
ただあまり やれやれとはっぱをかけないから そう感じないけれども
世にも得難い大運動です
といって家を捨ててやれ というのではない
家のことは少しぐらい犠牲になっても仕方ないけれど
あまり無理をしないでやって下さいというわけですが
世にも得難い大運動なんです
今にだんだんわかってきます
みんながやがてついて来ます
他に無いからです

コピー ~ asaasa


~中略~

光明思想と暗黒思想というのがあるんです
光明思想がそのまま進めば暗黒思想はなくなっちゃう
ところがみんなは光明思想を使わない
それで武器を使おうとする
権力か金力か武力でもって
世界を押えよう 世界を平和にしようと思う
武力 金力 権力では絶対に平和にならない
何故かというと
武力 金力 権力というものは暗黒思想なのです
人を圧迫しよう
力で人を屈服させようとする
そういう間違った考え方を暗黒思想というのです
暗黒思想と暗黒思想が戦っていたって
いつまでたっても光明になりません
平和になりません
日本はそんなバカなことに仲間入りしてはいけません
いくら共産主義が暗躍しようと武力でもって対そうなんて
ケチな考え 暗い考えを起こしちゃいけないと
私は叫んで 
祈りによる世界平和運動を展開しているわけです
私どもの運動というものは
あくまで大光明思想で
光明思想一点ばり 平和思想一点ばり
死のうが生きようが
病気にかかろうが 何をしようが
私は祈りによる平和運動を推進してゆくのだと
大決意をしているわけで
皆さんもそれに賛同しているわけですね
それ以外に救う道はないんです
そして最後に宇宙子科学が出来てきますから
解決するわけです
そういう運動を展開しているわけです

皆さんのよくよくこれを承知して下さい
これからいろんなところから話が来ると思うのです
このままいけば共産主義にやられちゃうじゃないか
武力を持たなければダメじゃないか
とかいってくると思います
しかしそれは一応の理屈だけれども
本当の平和思想ではないんだ
ということをあくまで皆さんの胸に収めて
祈りによる平和運動
人間の想い 日本人の想いを
平和というもの一つに結集する
ひとまず日本人全部が平和を祈願する
平和の祈りに結集されてしまう
というところまでみなさんが持っていけかなければいけない と思うのです

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大決意(五井昌久先生の講和)より
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今日も1日、外で汗をながし、夕暮れが来た。刻一刻と変化し夜に向かう時間は、私には、特に神聖な時間である。肉体は疲れ切っているものの精神は静寂に包まれ、雲と光の変化の中に吸い込まれ、消えてゆく。
家の中からもう寒いから家に入れと家族の声が聞こえる。
まだ3月の山風は冷たく、その風に五右衛門風呂の薪の燃える香がしてくる。
しばらくすると、太陽は森の彼方に消えすっかり暗くなり、風呂も沸いたのですぐにはいればとまた家族の声が聞こえ、現実世界に戻ってくる。
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夕雲の独白 
          五井昌久
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私はいつの間にか雲と云う名で
ぽつくりと大空に浮んでいた
どうしていつからここに浮かんでいるのか私は知らない
今夕陽に照らされて真紅に燃えている私の体は
私と云うひとりのものではなく
実は私たちと云う複数

果てしもない虚空に一群れ一群れ浮かんでいる私たち
私たちは陽に酔いながら
地上界を見降してみる
かつては種々な形で私たちも住まつていた地上界の様々な生物の営みが
私たちの心に浮かんでくる
やがて暮れようとする地上界の街々の
あわただしい動きの中に
私たちは人間たちの生活の息吹を感じ
生きのいのちの愛しさいじらしさに
祝福の言葉を送りたくなる

悪に染みても汚れても
生くるだけは生きねばならぬ哀しき肉の身
かつての私たちが
一粒一粒の雨滴となつて天降り
寄り集つて濁流と化し
家々を壊ち人々を傷つけ損ねたことが思われる
天地の因果と人間の因果
これは果して善か悪か
単なる自然の営みの一駒か
私たちは只大自然のすべてが慈愛によつて運行されていることを信じている


私たちは地上界をみつづける
地上の家々に灯がともり
私たちの姿がすつかり黒ずんできたのだが
私たちは地上の人たちとのつながりをなつかしみ
私たちも人類も
今日までの輪廻転生を超えて
青天白日の身になるのには
神時間と云う時間経過を経なければならないのだと
いつまでも地上界を見降しつづけていたのであつた

                           詩集「いのり」  所収



世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます










・・・・
・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・


年があらたまったことによって
人はおのずから心に
新しい生きる力 新しい理想 新しい道への開発を見出そうとする
新年おめでとうございますと人々は一様に言う
めでたい人もめでたくない人も種々様々でありながら
新年を祝いたい心が日本人の心の中に潜在している

人間の命の流れは 川の水のように
昨日ここで見た水は 今見ている水とは違うのである
昨日の水は もうすでにどこか遠くに流れ去っているのである
人間のいのちも そのように間断のない光の流れであって
ひととことに留まっているものではない

肉体人間というものは
命の流れに各様の想いをのせて流れているもので
昨日の命は今日の命でないように 昨日の想いはまた今日の想いではない
したがって昨日のあなたは今日のあなたではない
昨日のあなたがいかような善事をなしたとしても
今日のあなたがしたのではなく
昨日のあなたのした過ちも
今日のあなたのしたものではない
だから昨日の善事に誇ることもなければ
昨日の過ちを嘆くこともない
それらはすべて消え去って行った想念行為にすぎない

人間は常に 今の瞬間瞬間を
正しく清く愛と真に満ちた生き方をしてゆけばよい
新年はそうした生き方をあらためて思い起こさることによってめでたい
元旦を契機として 人間は日々新たな命を生かしきってゆきたいものである

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世界人類が平和でありますように

INFINITE LOVE

何度も何度も読んで読んで、わが肉体に言い聞かせています。

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 平和運動というと、衆を集めて会を開き、討論をし、決議案を出して、声明したり、反対賛成の抗議をしたり、あるいはデモをしたりするように考えられがちですが、本当の平和運動というのは、業想念を消し去る運動が一番で、業想念の波つまり神様のみ心に反する不調和の想いが一杯ある。そういう想いがあるうちは、どんな決議を出してもだめなんですね。
 やろうと思っても出来ない。自分では本当に愛したいのだけれど、愛せないというのがある。やろうと思うことがやれない。やらなければいけないな、と思うことがやれないことが随分あります。そのやれない想いというのは、やっぱり業なんですね。
 そういう場合にどうやったらいいか。無理にやれば余計な摩擦を生じさせて、体にその影響が来るとか、心が痛むとかなってくる。だから私達はそういう無理をしない。まず業想念を消し去る運動をやっているわけです。
 それにはどうしたらよいか。ただ祈ることより他にないです。
 人間というのはおかしなもので、言葉でしゃべったり、体を動かしてやらないと、働いているような気がしないけれども、実は寝ていても働いている。
 働き者は眠っていると無駄をしたように思うのです。ところが眠らなければ体が参ってしまう。眠っている間に体力が回復して、 一日の働く力が出てくる、カが湧き上ってくる。眠っている時というのは、働いている時間と同じように人事でしょ。働いている以上に人事なわけ。
 そこで今度は祈りということになる。黙って坐って祈っているから、全然働いていないかと思う。ところが祈っている時には、肉体がガタガタ働いている時の何百倍何千倍というような働きをしている。生命がうんと働いているのです。宇宙に向って働いている。光をうんと蓄えている。光をうんと蓄えてあるからこそ働ける。
 祈りとか睡眠とかいうものは、そういう力のエネルギーを蓄えておく時間なのですよ。その蓄えによって、肉体の働きがチョコッと少し働いても、すごい働きになるわけなんです。それを蓄えも何もしないで、只肉体だけを動かしたって、百円の資本で働くのと同じで、たいした利益はないんだ、とこういうことになるんです。
 やっぱり肉体が働く予備運動としても、蓄積する資本としても、祈りというのが大事なのです。祈りがなくては、肉体は本当の働きが出来ないのだ、祈りによって神様の霊的大光明を蓄積しておいて、それで働き出せば、肉体を忙しく動かさなくても、素晴しい働きが出来ているんだ、ということなんですよね。
 私達の運動というものは、祈りが根本というより、祈りがすべてですよ。祈りからすべてが発生するという、そういう運動なのです。


著者紹介― 五井昌久 ごいまさひさ



INFINITE PEACE






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 今日まで、武というものは、すべて戦うためのもの、荒々しいものとしてみられていたが、植芝盛平先生が合気道をひろめられてから、武というものが、実は絶対調和への道、世界平和のためのものであるということが、はっきりしてきた。
 植芝盛平先生と私とが、全く一つの心に融け合っているのも、合気道と世界平和の祈りとが、現われの形が異なってはいるが、その根底において全く一つのものであるからなのだ。
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 合気道の実技をみていると、虚が実の前に消えてゆく姿となってゆくのがよくわかるのである。光の前に暗はなく、調和の姿の中に不調和は存在し得ない真理が、その技のうちにそのまま現われている。
 この世は力の関係だから、武力の均衡が破れれば、戦争が起こる、といわれるような、そうした武力でない、そうした相対的な武力を超えた大調和の力を、個人個人がその場で現わし得ているのが合気道なのである。
 相対的な力と力の関係は業の波の世界のことで、いつかはその均衡が破れて破綻を来すことは必定なのだが、合気道のもつ力は、相対的でない、大調和の世界から流れでてくる光明力であって、調和していない業想念をもった行為は、その光明力の前にみずから勝手に消え去ってゆき、形の上においては、打ち掛かった相手が、打ち掛かった業の力だけの損失をまねくのである。
 この合気道の道は全く真理なのであり、世界平和の祈りによって、病気や不幸が知らぬ間に消え、いつの間にか敵対していたものが消え去り、安心立命の生活がおのずからひらいてくる、というのと同じ真理なのである。
 すなわち神一元、大調和統一の姿しか、この世には無く、あるようにみえている不調和、不完全の姿は、過去世の業想念行為が、今現われて消えてゆく姿にすぎないのだ。
 だから、そうした消えてゆく姿を掴んで、ああでもない、こうでもないといっているより、合気の道に入り、世界平和の祈りの日常生活から、自分たちの生活を踏み出してゆくことが、この世を天国、神の世にするための真実の道であることは、明らかな事実なのである。

 絶対調和の道、敵のない光明の姿が、いかに心強いものであるかを如実に示している、合気の道こそ、世界平和の祈りと等しい常住神我一体の道であると私は思っている。この道のみが、世界を平和にする道であることを私はかたく信ずるものなのである。
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『心はいつも青空』五井昌久より




いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず、世界の平和をただただ祈る第222回八ヶ岳月の国集会でありました。


INFINITE PEACE

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秋から冬に.入ろうというこの空の
何んという広々とした姿であろう
大自然の営みの清々しい眺めは
収穫後の稲田の安らぎにもあるし
人々の心を充分にうるおした柿の木や栗の木の

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今年の役目を果し終えた落つきの中にもある
果実も緑葉も北風の冷やかな手振りにつれて
次第に色あせてはいったが
そうした淋しさにつれて人間の心の底から冬に備える逞しい力が湧いてくる

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十一月は私の生れた月
大きな宇宙の一環の
地球世界の大使命を
立派に果させる役目を荷って
私はこの世に生れ出た


十一月
大自然の深い心がしみじみと心に沁みてくる月だ
浮わついた想念がすっきりと消え去って
しっかりと両足が大地に据えられる月だ
やがて訪れる新しい世界の為の
はっきりとした心構えを
この月のうちに自分のものとして
冷厳な冬の姿に対峙するのだ

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世界は全く改まる
転動夢想している人類の想念が
一瞬にして正常に戻る
そうした春がやがて来る
だがしかし私たちは
その前に凍りついた冬の季節を通らねばならぬ

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十一月
この月こそ私たちの不動心をじっくり顧み
大自然の心の中にすべてを融けこませてゆくのに
最も適した月であるのだ
ああ十一月の自然はいいなあ

詩集『純白』 五井昌久





2015.09.01 青年のために
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青年の為に

ただ黙っているだけで
その人の周囲は明るくなり
話し出せば真理が心に沁みてきて
生命が生き生きとしてくる
その人の云うことは
すべて心からにじみ出てくる感じで
一言一言にうなづかずにはいられぬ真実がある
その人の行為は自然で純粋で
把われがなく要を得ている
人の為にしていることも自分の為にしていることも
同じように真剣で忠実であり
人の為だの自分の為だのという区別がない
したがって誇る想いもなければ卑下する想いもない
生かされるがままに生き
生かされている生命を大事につかい
人間はすべて兄弟姉妹であるということを身をもって示している
そういう人にあこがれをもつような
青年に一人でも多くしてゆきたいものである


詩集『純白』   五井昌久

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こんな風に生きよう

自己をかばうために
他人の能力をけなしつけ
自分の手柄を誇るために
他人の悪を責めたてる
そんなちっぽけな人間に
君たちはなってはいけない
人にはそれぞれ欠点はあるが
その人なりの長所が必ずあるもの
自分の失敗も消えてゆく姿
他人の嫌な行為も消えてゆく姿
欠点はすべて消えてゆく姿とみて
人間神の子の本体をつかみ出そう
人がほめられるたびに
自分の心が喜んでいられるような
そんな広い心の人間になろう
いつも他人の幸福を祈り
世界人類の平和を祈りつづける
光り輝いたそんな人間で生きつづけよう

詩集『純白』 五井昌久


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カムイモシリ ピリカ ノミ

世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます






愛することが哀しい時があつても

友よ 愛しつゞけていかなければいけない

あなたの愛がたとえ地上に燃える焔であつても

神はあなたの愛が天上界のものであることを知つている

愛は神のみ心そして地上の光明

愛することは深い喜び

愛することは深い哀しみ

この世のいのちの流れの中で

縁(えにし)美しく花開くは

人と人との愛の交わり

国と国とが愛し合えない悲哀の時代にあつても

せめて人と人とは愛し合わなければいけない

人はみな神のいのちの分れ

本来一つのもの

私とあなたは一つのいのち

私たちの愛の心が

光明となつて国に充つる時

それはやがて世界の平和を導き出してゆくことになるのだ



友よ

愛して心哀しい時があつても

愛しつゞけていかなければいけない

その愛はやがて

輝やかな喜びとなつてあなたにかえつてくるに違いない

神があなたを愛していて下さるように

あなたの愛も相手を柔らかく包んでいるに違いないのだから


詩集「いのり」 五井昌久

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地球人類の業想念が
放射能灰となって
自らの空や大地を汚しきっている時
澄み清まった躰をもつ
聖なる人たちが私たちの身辺に近づいてきた
その人たちは宇宙をそのまま住として
星々のように輝き渡っている存在者
神のみ心そのままを
自己の生活に現わしている人類
キリスト、仏陀と全く等しい光明体だ
その人々には一切の敵はなく
悲嘆も憎怒も恐怖も不安も
そうしたあらゆる業想念はさらさらない

平和を望みながら自ら世界を乱している地球人類よ
敵を見る思想の中には平和は来ず
武力に頼っている卑弱な信仰心では
神のみ心に融合することはできない

宇宙人の声はそう私たちに伝えてくる
私たちはその真理を知っている
私たちのすべての生活は
世界平和の祈り心から生れてくるもの
すべての人類が神の子であることを
身をもって現わそうとしているものだ

宇宙平和の中心者
大天使宇宙人は
今私たちの身近にいる
世界平和の祈りのひびきに交流して
地球人類救済のため
その慈愛のみ光りを
あらゆる地域に放射しはじめているのだ

私たちは祈る
世界平和を祈る'
地球人類が宇宙の聖なる使命を果すための
清らかな躰に生れ変わるようにと
私たちの世界平和の祈り言は
今日から明日へ
明日から明後日へ
益々ひろがりつづけてゆくのである



昭和30年代の五井先生の詩集「いのり」より



宇宙人の声は未だ変わらず私に響いてくる。
その声ははるか昔から変わらず
地球人類よ平和であれと応援してくれている。
その声にこたえるべく私は、
「世界平和の祈り」を祈りつづける。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様、守護神様ありがとうございます









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神なき人類の悲哀

神から離れていると云う事は
何んと哀しい事なのであろう
一度ならず二度までも
世界中の人間が戦い合って
多くの兄弟を無意義に死なせた昨日までの事を
もうすっかり忘れ去ってでもしまったように
自我欲望に盲いきった国々が
又も戦の火華を散らす

自分が死にたくないと云う事は
人も死にたくないという事
自分が自由を欲するように
人も自由を欲するもの
人を死なせて自分だけ生きようとする
人を縛って自分だけ自由になろうとする

そうした生き方は神の世界では許されもせず存在もしない
そんな判りきった倫理さえ
神を離れたあなた方には判らない
判らずやの駄々子の年端もゆかぬ幼児か
教養も思想もまるでもたぬ市井無頼(しせいぶらい)の徒のように
弱小国から腕づくで自分の欲しいものを強奪する
あわれと云うか愚と云うか
魔性の虜の三大国

力と力とぶつかり合う
修羅の姿の地獄絵を
三度び此の世に繰り返えそうと云う
大底抜けの大白痴業想念の明き盲
どんな罵倒にも値しない無明界の闇芝居

日本よ日本人よ
如何なる無明の闇の中でも
神から離れてはならない
神の子である事を忘れてはならない
業想念の波にさらわれ
修羅の巷に足を踏み入れてはならない
世界がどのように砕けようとも
私たちは心に神の光明を輝かし
世界平和の祈りをつづけてゆくのみだ


詩集『ひびき』 五井昌久



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世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

守護霊様 守護神様ありがとうございます


2015.08.17 自然に
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世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます


リラックスして自然に
やさしく力まず
明るく朗らかに
歌うような軽い気持ちでやっていく。

なにごとも力まず自然に
それはあらゆることの原則で一番自由な道。
寝ても覚めても平和の祈りが鳴り響く。
そういう人が一人でも増えることが世界を平和にしてゆく。

やさしく、本当にやさしく真実の道を説いてくれた五井昌久先生
35年前1980年8月17日、五井先生は移行しました。
今日はしみじみとそのことを感じるのであります。

守護霊様、守護神様、五井先生ありがとうございます。

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2015.08.08 日本の天命
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 日本は昔から神ながらの国といい、大和の国といい、霊の本(日本)といい、日章旗に示されているように、白地に太陽、つまり霊光がまん丸く統一されて輝いている、そういう本質を自ずと現わしているのです。
 日本という国は、調和の本質をそなえておりまして、中国文化が入ってくると、それをいつの間にか、日本文化の中に融かしこんでしまう、 ヨーロッパ文明が入ってくれば、これも直ちに日本流に調和させてしまう、というように、なんでも日本にくると調和されて、日本流になってしまう、という不思議な要素をもっています。
 各国の料理なども、日本人の手になると、なんでもこなされてしまいまして、日本に来ると、どこの国の料理も美味しく料理され、ものによると、その国の料理よりも日本人の手になったほうが美味い、という程になっています。
 そういうように、各国の特徴を巧みに融合させ調和させてしまう特技をもっているのであります。ですから今日まで、日本人の発明になるものというのは甚だ少なく、外国の発明発見を、日本人がよりよく改善してゆく、ということになっております。日本人はよく猿真似が上手だといいますが、確かに発見発明するより、そうされたものをよりよく生かしてゆく調和さいせてゆくとうことが上手なのであります。
 すべてを融和させ和合させるという、日本の本質は、大きくは世界平和ということに重大なる役目をもっているのでありまして、 どうしても必然的に世界平和へ向う智慧や方法は日本から生れてくるようになっているのです。これは現在うなずかない人がいても、後には成る程と肯かざるを得ないようになってきます。
 日本が現在唯一の核爆弾の被害国であることなどは、日本が核戦争を阻止し世界を平和に導いてゆかねばならぬことを、実証してみせたようなもので、核兵器核装備に対して日本が拒否することは、日本としては当然である、と各国に思わせる充分なる立場をつくってくれています。
 核爆撃をされることなどは、日本政府としても、日本国民としても、その日の近ずくまでは知るよしもなかったことで、すべて日本の天命が完うされるための神仕組なのです。

日本の進むべき道を誤またせるな

 そこで日本の理想と使命を一口にいうと、世界のあらゆる文明文化を融合させ、世界の完全平和の実現のための先達となる、ということであります。
 右のものと左のものとを融合させ、その和の中から新しいものを生み出す、これが日本の天命の一つなのであります。右のものに組して左のものを叩いたり、左に組して右のものを叩いたりするのは、日本人のすることでもなければ、日本国のすることでもありません。日本人はすべてを生かす中庸の道、調和の道を歩むことがその天命なのであります。
 ですから、その道を外れてしまえば日本の天命は果されないのですから、日本国は滅びるより仕方がありません。日本国が減びれば、世界完全平和実現の先達となり、中心となる天命の国は他にはないのですから、世界は滅びてしまうに違いありません。これを逆説的にいえば、宇宙は大調和にむかって進んでいるのであり、神々や古来からの各聖賢が力を揃えて、地球人類の平和達成のために働いておられるのですから、地球が滅亡することはない。だから、日本の天命は果されることになる。従って、日本は滅亡することはない。ということになり、やがては世界は完全に平和になるに定まっているということになります。
 しかし、現実の世界は一触即発の危険な状態にあり、現象的にみれば、各予言のように最後の審判的な恐ろしい事態にならざるを得ないようにみえます。
 ですから人によると、世界の平和などという夢のようなことを考えずに、如何にその場その場を他国に侵かされずに切りぬけてゆくか、ということを問題にして、日本は処してゆかねばならぬ、といっております。それには米国としっかり手を組んで、共産主義の侵略を防いでゆくことである、そのためには日本の軍備を強化することは勿論である、というわけです。
 この人たちには、日本の本質も、理想も天命も無いわけです。 そういうことはひとまずおいて、現在に処するということなのであります。 現在に処して後はどうする、そういう後のことはその時になって考えるわけです。
いつでも他国の動きによって動くわけでありまして、敵と思われる国々をすっかり絶滅させるまでは、世界平和ということは考えられないわけなのです。
 ところが、私どもの霊的考察によりますと、敵があるとか無いとかいう問題ではなく、
字宙の進行による地球渡動の変化につれて、どうしても変化させねばならぬ、宇宙観、人生観の問題でありまして、地球人類側にその変化に対応する心がまえがなければ、人間としての敵ばかりではなく、地球波動の変化による天変地異による、 大悲劇がもたらされるかも知れないのです。
 ですから共産主義国のすべてを叩きふせても、それは一時のがれのものであって、無駄骨折りに過ぎないものであるというのであります。 しかもその無駄骨を折るのには、やはり地球人類の運命をかけ、多大の犠牲をはらい、時によれば、地球人類減亡の危険さえあるのです。

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暗黒思想を消減させるもの

 問題になってくることは、やはり、世界制覇をめざして、着々と思想謀略を計っている国家や集団があることと、虚無主義的な破壊思想をもっている集団のあることなのです。
 これらの国家や集団は、日本の労働争議や学校騒動などを牛耳り、あらゆる手段をもって、日本の現在の政治体制を根底からくつがえして、自国や自分たちの思想のままに、日本を操ろうとしているのであります。
 それは単なる共産主義者たちだけではなく、もっと奥深い暗黒思想なのです。ですから表面に現われている共産主義者や、共産主義国を叩いたとしても、それでよいのではない、と私はいっているのです。
 こういう謀略をよく知っている憂国の人たちは、 その謀略を防ごうとして必死になって活動しているのでありますが、現実的には、そういう謀略を受け入れ易い状態が世界中にあり、日本にもありまして、現在の宇宙観や人生観では、とてもその侵略を防ぎ得るわけにはいかないのです。
 そこで憂国の人たちは、心痛しながらも、そういう謀略があるのだ、日本の危機だ、世界の危機なのだと叫びつづけるだけで、どうにも具体的な手が打てずに切歯扼腕(せっしやくわん)しているのであります。そこでどうしても、国内防衛のためにも、外交政策のためにも、軍備を充実させねばならぬ、というように武力に頼る方向にその主張が向いていってしまうことになるのです。
 私なども現実的な面だけをみている時には、その人たちの気持がよくわかるのですが、そういう主張がかえって、暗黒思想団体の謀略のうまい口実になり、日本の右翼が日本を再び軍国主義にさせようとしている、というような喧伝をして、民衆は大体もう戦争にはこりごりしていますので、そういう喧伝にうまく乗ってしまい、 日本の思想が分裂させられてしまうのです。
 このように、日本の思想が分裂していることが一番危険なことだと私は心配するのであります。 日本の思想が分裂していることは、何かの拍子に火がつくと、内乱にまで発展しないとはいえないのです。
 暗黒思想の謀略は実に危険であり困ったものですが、これを抑えるのに軍備というのも、業因縁の流転でありまして、これではいつまでたっても日本の平和も世界の平和も成り立たない、と私は説いているのであります。
 ですから、どこからどこまで考えても、結論としては、神のみ心の大調和精神に沿って、世界平和の祈りを根底にして、 すべての行動としてゆかねばならないということになるのであります。
 今日の世界では、今までのような神を離れた、小智才覚だけの生き方では、自分をも国をも人類をも守り得ないことが明らかになってきているのです。そのことを、 つきつめて考えて'みることが、人々にとって必要なのであります。


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「日本の心」 五井昌久著