2010-05-24 018

(一)

人間は神の分霊であり

神そのものであるのです

昔 常不軽菩薩という人がいました

すべての人にむかって

あなたは仏さまです 菩薩さまです

と拝んで歩きました

すると拝まれた人たちが

何 オレが仏菩薩であるものか!

と怒って 石をぶつけたり 棒で打ったりした

石をぶつけられ 棒でなぐられ 逃げながらも

あなたは仏さまです

あなたは菩薩さまです

と本当の人間の姿を拝んだということです

お釈迦さまの前生だということになっています

ほんとうはこのように

人間を神さま! と拝めるようにならなければいけない

ところがそんな奴を神さまと拝めるか というのが多い

顔をまともに見ては 神さまと思えない

それは相手の消えてゆく姿の部分を見ているんです

それを見ていてはいつまでたっても神さまは見えない

そこで私はどうさせるかというと

人間を見る場合

その人の肉体を見ない

肉体のうしろにいる守護霊さん守護神さんを見させる

息子が不良でしょうがない とすれば

息子のうしろの守護霊さんに

“守護霊さん有難うございます

息子の天命を完うせしめ給え“ とやる

夫が道楽者だとすれば

"夫の守護霊さん ああご苦労さまですね

こういう業の固りをよく守って下さいまして

有難うございます

どうか夫の天命を完うせしめ給“ とやるんです

そうすると 知らないうちに

相手の守護霊と自分の守護霊と一つになり

守護霊の力が 夫なり子供なりに働いて

業を消してゆくのです

夫が祈らず

子が折らず

妻が祈らないとするならば

自分だけでいいから

世界平和の祈りをするんです

その時に

迷っている夫 迷っている子供の名を呼んで

そのうしろの守護霊さんに頼むのです

それをつづけることです

そうしますと いつの間にか立派になります

必ず立派になりますよ  

私のやり方は易行道なんです

むずかしいっていう人があるけれど

むずかしいといえば何んだってむずかしい

人間悟ろうとするのはなかなかむずかしいです

むずかしいけれど私のやり方は一番やさしいんです

何故かというと

悩みをとってから拝め というのではない

悲しみをとってから拝めというのではない

汚れを清めてから拝め というのではないのです

汚れたままでいいんだ

病んでいるまま

悩んでいるままでいいんだ

そのままで世界平和の祈りの中に飛びこめば

世界平和の大光明がそんなもの問題にしなくて

消してくれるのだ

そう信じておやりなさい と教えているのです



神の子の人間なのだから

神さまが絶対に救わなきゃいけない

全部救うために

守護霊を遣わし守護神を遣わしているんだから

救うのは当り前

救われるのは当り前なんです

ただ消えてゆく姿ということが本当にわかれば

みんな救われちゃうのです


(二)


"世界平和祈る忽ち祈り人の姿光につつまれてあり"

という私の歌があります

どんなに悪いことを想っていても

自分がどんな業想念につつまれていても

あいつ嫌いな奴だ 死んじまえばいい と思っていても

世界人類が平和でありますように といったらば

自分は光につつまれているのか

という質問がありました


どんなに悪い想いが片方に出て来ても

世界人類が平和でありますように

という想いがあれば

それは光につつまれているのです

光につつまれているけれども

自分の中の光と

外の守護霊守護神の光 救世の大光明と

ぴたっと一つにならないと安心しないのです

やっぱり揺れているような気がするのです

ところが

世界平和の祈りをやっていると

中のものが世界平和の祈りをやるんだから

外の救世の大光明と合体してゆくわけ

合体してゆくうちに

だんだん光がひろがってゆく とともに

業想念がだんだんへってゆくのです

へってゆけば

なんか安心立命した

心からああ私は救われているんだなァ

ということが

貧乏なら貧乏なりに 病気なら病気の中で

ああ私は神の子なんだな

ということがハッキリわかってくるのです

だからやらなければだめです

どんな悩みの中にあっても

どんないやな想いの中にあっても

貧乏の中にあっても

病気の中にあっても

世界平和の祈りをしていれば

その人の周囲はズーッと光につつまれているのです

これは間違いもないことです

だから安心して世界平和の祈りをやればいいのです


(「大決意」所収)

s-2012-05-05 059azaz


今日は、世界平和を祈る月の国集会でありました。 6人で平和を響かせ、祈りによる平和運動がより多くの方々に賛同していただけることを、この肉体が消えてなくなるまで広めてゆきたいと思うのでありました。




INFINITE PEACE

INFINITE HEALTH




 

s-コピー ~ 2017-01-27 028


人間という者は欲望をなくせ、といわれても、なかなかなくせるものでなく、
恐怖するな、怒るな、哀しむな、執着するな、といわれても、その性情が容易なことでなおせるものではありません。  

法然、親鸞は、そうした性情をなおせなどとは少しもいいません。 

私たちもあなた方も、そうした肉体人間の想念感情においては、同じことなのだ、
そのような想念はどうでもよい、
怒ったら怒ったまま、泣いたら泣いたまま、
ただひたすらに南無阿弥陀仏と称名しなさい、

称名さえすれば、あなたがたは、極楽浄土に救われてゆくのだ、と教えているのです。 

 これは法然、親鸞が肉体想念(業生)と本心(仏心)とをはっきり区別して知っていたことを現わしています。




『日々の祈り』 五井昌久著 高橋英雄編 より




INFINITE LOVE




世界人類が平和でありますよう






2016.10.11 祈りと統一


世界人類が平和でありますように

天皇のいる国 日本。
やはり普通の国とは違う。
それはいったいどういうことなのか、
日(霊)の本の国 
大和の国 の天命
大調和精神の国
日本国の一人として21世紀の道を歩んでいきたいと思う今日であります。
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五井昌久先生の法話であります。平和憲法についても言っておりますので聞いてください。



世界人類が平和でありますように


INFINITE LOVE



2016.07.26 大決意
大決意

文明文化が進んでくると
自分でやらなければいけないことを
人にやらせたり 機械にやらせたりして
自分では悪いことをしていないような感じがする
たとえば
個人的に喧嘩して人を殺してしまえば
悪いことをした と自分でとてもいたみます
ところが国でやったということになれば
ちっともいたみません
人を殺しても 爆弾を落としても
いたまないわけです
それだけ人間はずるくなっている

ずるくなっているということは
表面に 悪いことも全部浮き上がってきているということです
というのは
宇宙の大変化の時ですから
波動が変わって来て
光りが余計に入って来て
内から押し上げて
地獄がそのまま肉体界に浮き上がっちゃっているのです
地獄はもう底にはないのです
地獄も天国も一緒のところにあるのです

地獄が浮き上がって来ているので
悪いことでも やること為すことがすべて大きい
たとえば今迄 喧嘩で殴っていた
それが今はロケットで核爆弾をとばす
ということになって やることが地球的規模になっている
地獄が現れているということは
消えてゆく姿で
やがては消えてしまう
底にかくれていたら
なかなか消すわけにはゆかないけれど
一遍 光で追い出して
表面に出してしまったわけですから
今度は 消す番なのです
本当に世界平和が出来る立場になるわけ
潜在意識の奥の奥に入っていた
人類の底にひそんでいたものが 全部出て来たんですから
ここで間違えれば滅びるわけです
たけども 神さまの方では
”滅ぼさない“とおっしゃっているんだから
滅ぼさないに決まっています
それで世界が本当に平和になるわけです
そのための祈りによる世界平和運動であり
宇宙子波動生命物理学の誕生なのです
ですから私たちのやっている運動というのは
世にも得難い大運動なのです
ただあまり やれやれとはっぱをかけないから そう感じないけれども
世にも得難い大運動です
といって家を捨ててやれ というのではない
家のことは少しぐらい犠牲になっても仕方ないけれど
あまり無理をしないでやって下さいというわけですが
世にも得難い大運動なんです
今にだんだんわかってきます
みんながやがてついて来ます
他に無いからです

コピー ~ asaasa


~中略~

光明思想と暗黒思想というのがあるんです
光明思想がそのまま進めば暗黒思想はなくなっちゃう
ところがみんなは光明思想を使わない
それで武器を使おうとする
権力か金力か武力でもって
世界を押えよう 世界を平和にしようと思う
武力 金力 権力では絶対に平和にならない
何故かというと
武力 金力 権力というものは暗黒思想なのです
人を圧迫しよう
力で人を屈服させようとする
そういう間違った考え方を暗黒思想というのです
暗黒思想と暗黒思想が戦っていたって
いつまでたっても光明になりません
平和になりません
日本はそんなバカなことに仲間入りしてはいけません
いくら共産主義が暗躍しようと武力でもって対そうなんて
ケチな考え 暗い考えを起こしちゃいけないと
私は叫んで 
祈りによる世界平和運動を展開しているわけです
私どもの運動というものは
あくまで大光明思想で
光明思想一点ばり 平和思想一点ばり
死のうが生きようが
病気にかかろうが 何をしようが
私は祈りによる平和運動を推進してゆくのだと
大決意をしているわけで
皆さんもそれに賛同しているわけですね
それ以外に救う道はないんです
そして最後に宇宙子科学が出来てきますから
解決するわけです
そういう運動を展開しているわけです

皆さんのよくよくこれを承知して下さい
これからいろんなところから話が来ると思うのです
このままいけば共産主義にやられちゃうじゃないか
武力を持たなければダメじゃないか
とかいってくると思います
しかしそれは一応の理屈だけれども
本当の平和思想ではないんだ
ということをあくまで皆さんの胸に収めて
祈りによる平和運動
人間の想い 日本人の想いを
平和というもの一つに結集する
ひとまず日本人全部が平和を祈願する
平和の祈りに結集されてしまう
というところまでみなさんが持っていけかなければいけない と思うのです

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大決意(五井昌久先生の講和)より
s-2015-06-27 110


今日も1日、外で汗をながし、夕暮れが来た。刻一刻と変化し夜に向かう時間は、私には、特に神聖な時間である。肉体は疲れ切っているものの精神は静寂に包まれ、雲と光の変化の中に吸い込まれ、消えてゆく。
家の中からもう寒いから家に入れと家族の声が聞こえる。
まだ3月の山風は冷たく、その風に五右衛門風呂の薪の燃える香がしてくる。
しばらくすると、太陽は森の彼方に消えすっかり暗くなり、風呂も沸いたのですぐにはいればとまた家族の声が聞こえ、現実世界に戻ってくる。
s-2016-03-26 013



夕雲の独白 
          五井昌久
s-2014-04-01 124

私はいつの間にか雲と云う名で
ぽつくりと大空に浮んでいた
どうしていつからここに浮かんでいるのか私は知らない
今夕陽に照らされて真紅に燃えている私の体は
私と云うひとりのものではなく
実は私たちと云う複数

果てしもない虚空に一群れ一群れ浮かんでいる私たち
私たちは陽に酔いながら
地上界を見降してみる
かつては種々な形で私たちも住まつていた地上界の様々な生物の営みが
私たちの心に浮かんでくる
やがて暮れようとする地上界の街々の
あわただしい動きの中に
私たちは人間たちの生活の息吹を感じ
生きのいのちの愛しさいじらしさに
祝福の言葉を送りたくなる

悪に染みても汚れても
生くるだけは生きねばならぬ哀しき肉の身
かつての私たちが
一粒一粒の雨滴となつて天降り
寄り集つて濁流と化し
家々を壊ち人々を傷つけ損ねたことが思われる
天地の因果と人間の因果
これは果して善か悪か
単なる自然の営みの一駒か
私たちは只大自然のすべてが慈愛によつて運行されていることを信じている


私たちは地上界をみつづける
地上の家々に灯がともり
私たちの姿がすつかり黒ずんできたのだが
私たちは地上の人たちとのつながりをなつかしみ
私たちも人類も
今日までの輪廻転生を超えて
青天白日の身になるのには
神時間と云う時間経過を経なければならないのだと
いつまでも地上界を見降しつづけていたのであつた

                           詩集「いのり」  所収



世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます










・・・・
・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・


年があらたまったことによって
人はおのずから心に
新しい生きる力 新しい理想 新しい道への開発を見出そうとする
新年おめでとうございますと人々は一様に言う
めでたい人もめでたくない人も種々様々でありながら
新年を祝いたい心が日本人の心の中に潜在している

人間の命の流れは 川の水のように
昨日ここで見た水は 今見ている水とは違うのである
昨日の水は もうすでにどこか遠くに流れ去っているのである
人間のいのちも そのように間断のない光の流れであって
ひととことに留まっているものではない

肉体人間というものは
命の流れに各様の想いをのせて流れているもので
昨日の命は今日の命でないように 昨日の想いはまた今日の想いではない
したがって昨日のあなたは今日のあなたではない
昨日のあなたがいかような善事をなしたとしても
今日のあなたがしたのではなく
昨日のあなたのした過ちも
今日のあなたのしたものではない
だから昨日の善事に誇ることもなければ
昨日の過ちを嘆くこともない
それらはすべて消え去って行った想念行為にすぎない

人間は常に 今の瞬間瞬間を
正しく清く愛と真に満ちた生き方をしてゆけばよい
新年はそうした生き方をあらためて思い起こさることによってめでたい
元旦を契機として 人間は日々新たな命を生かしきってゆきたいものである

s-2016-01-15 028aas



世界人類が平和でありますように

INFINITE LOVE

何度も何度も読んで読んで、わが肉体に言い聞かせています。

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 平和運動というと、衆を集めて会を開き、討論をし、決議案を出して、声明したり、反対賛成の抗議をしたり、あるいはデモをしたりするように考えられがちですが、本当の平和運動というのは、業想念を消し去る運動が一番で、業想念の波つまり神様のみ心に反する不調和の想いが一杯ある。そういう想いがあるうちは、どんな決議を出してもだめなんですね。
 やろうと思っても出来ない。自分では本当に愛したいのだけれど、愛せないというのがある。やろうと思うことがやれない。やらなければいけないな、と思うことがやれないことが随分あります。そのやれない想いというのは、やっぱり業なんですね。
 そういう場合にどうやったらいいか。無理にやれば余計な摩擦を生じさせて、体にその影響が来るとか、心が痛むとかなってくる。だから私達はそういう無理をしない。まず業想念を消し去る運動をやっているわけです。
 それにはどうしたらよいか。ただ祈ることより他にないです。
 人間というのはおかしなもので、言葉でしゃべったり、体を動かしてやらないと、働いているような気がしないけれども、実は寝ていても働いている。
 働き者は眠っていると無駄をしたように思うのです。ところが眠らなければ体が参ってしまう。眠っている間に体力が回復して、 一日の働く力が出てくる、カが湧き上ってくる。眠っている時というのは、働いている時間と同じように人事でしょ。働いている以上に人事なわけ。
 そこで今度は祈りということになる。黙って坐って祈っているから、全然働いていないかと思う。ところが祈っている時には、肉体がガタガタ働いている時の何百倍何千倍というような働きをしている。生命がうんと働いているのです。宇宙に向って働いている。光をうんと蓄えている。光をうんと蓄えてあるからこそ働ける。
 祈りとか睡眠とかいうものは、そういう力のエネルギーを蓄えておく時間なのですよ。その蓄えによって、肉体の働きがチョコッと少し働いても、すごい働きになるわけなんです。それを蓄えも何もしないで、只肉体だけを動かしたって、百円の資本で働くのと同じで、たいした利益はないんだ、とこういうことになるんです。
 やっぱり肉体が働く予備運動としても、蓄積する資本としても、祈りというのが大事なのです。祈りがなくては、肉体は本当の働きが出来ないのだ、祈りによって神様の霊的大光明を蓄積しておいて、それで働き出せば、肉体を忙しく動かさなくても、素晴しい働きが出来ているんだ、ということなんですよね。
 私達の運動というものは、祈りが根本というより、祈りがすべてですよ。祈りからすべてが発生するという、そういう運動なのです。


著者紹介― 五井昌久 ごいまさひさ



INFINITE PEACE






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 今日まで、武というものは、すべて戦うためのもの、荒々しいものとしてみられていたが、植芝盛平先生が合気道をひろめられてから、武というものが、実は絶対調和への道、世界平和のためのものであるということが、はっきりしてきた。
 植芝盛平先生と私とが、全く一つの心に融け合っているのも、合気道と世界平和の祈りとが、現われの形が異なってはいるが、その根底において全く一つのものであるからなのだ。
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 合気道の実技をみていると、虚が実の前に消えてゆく姿となってゆくのがよくわかるのである。光の前に暗はなく、調和の姿の中に不調和は存在し得ない真理が、その技のうちにそのまま現われている。
 この世は力の関係だから、武力の均衡が破れれば、戦争が起こる、といわれるような、そうした武力でない、そうした相対的な武力を超えた大調和の力を、個人個人がその場で現わし得ているのが合気道なのである。
 相対的な力と力の関係は業の波の世界のことで、いつかはその均衡が破れて破綻を来すことは必定なのだが、合気道のもつ力は、相対的でない、大調和の世界から流れでてくる光明力であって、調和していない業想念をもった行為は、その光明力の前にみずから勝手に消え去ってゆき、形の上においては、打ち掛かった相手が、打ち掛かった業の力だけの損失をまねくのである。
 この合気道の道は全く真理なのであり、世界平和の祈りによって、病気や不幸が知らぬ間に消え、いつの間にか敵対していたものが消え去り、安心立命の生活がおのずからひらいてくる、というのと同じ真理なのである。
 すなわち神一元、大調和統一の姿しか、この世には無く、あるようにみえている不調和、不完全の姿は、過去世の業想念行為が、今現われて消えてゆく姿にすぎないのだ。
 だから、そうした消えてゆく姿を掴んで、ああでもない、こうでもないといっているより、合気の道に入り、世界平和の祈りの日常生活から、自分たちの生活を踏み出してゆくことが、この世を天国、神の世にするための真実の道であることは、明らかな事実なのである。

 絶対調和の道、敵のない光明の姿が、いかに心強いものであるかを如実に示している、合気の道こそ、世界平和の祈りと等しい常住神我一体の道であると私は思っている。この道のみが、世界を平和にする道であることを私はかたく信ずるものなのである。
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『心はいつも青空』五井昌久より




いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず、世界の平和をただただ祈る第222回八ヶ岳月の国集会でありました。


INFINITE PEACE

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秋から冬に.入ろうというこの空の
何んという広々とした姿であろう
大自然の営みの清々しい眺めは
収穫後の稲田の安らぎにもあるし
人々の心を充分にうるおした柿の木や栗の木の

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今年の役目を果し終えた落つきの中にもある
果実も緑葉も北風の冷やかな手振りにつれて
次第に色あせてはいったが
そうした淋しさにつれて人間の心の底から冬に備える逞しい力が湧いてくる

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十一月は私の生れた月
大きな宇宙の一環の
地球世界の大使命を
立派に果させる役目を荷って
私はこの世に生れ出た


十一月
大自然の深い心がしみじみと心に沁みてくる月だ
浮わついた想念がすっきりと消え去って
しっかりと両足が大地に据えられる月だ
やがて訪れる新しい世界の為の
はっきりとした心構えを
この月のうちに自分のものとして
冷厳な冬の姿に対峙するのだ

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世界は全く改まる
転動夢想している人類の想念が
一瞬にして正常に戻る
そうした春がやがて来る
だがしかし私たちは
その前に凍りついた冬の季節を通らねばならぬ

s-コピー ~ 2015-11-11 011

十一月
この月こそ私たちの不動心をじっくり顧み
大自然の心の中にすべてを融けこませてゆくのに
最も適した月であるのだ
ああ十一月の自然はいいなあ

詩集『純白』 五井昌久





2015.09.01 青年のために
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青年の為に

ただ黙っているだけで
その人の周囲は明るくなり
話し出せば真理が心に沁みてきて
生命が生き生きとしてくる
その人の云うことは
すべて心からにじみ出てくる感じで
一言一言にうなづかずにはいられぬ真実がある
その人の行為は自然で純粋で
把われがなく要を得ている
人の為にしていることも自分の為にしていることも
同じように真剣で忠実であり
人の為だの自分の為だのという区別がない
したがって誇る想いもなければ卑下する想いもない
生かされるがままに生き
生かされている生命を大事につかい
人間はすべて兄弟姉妹であるということを身をもって示している
そういう人にあこがれをもつような
青年に一人でも多くしてゆきたいものである


詩集『純白』   五井昌久

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s-コピー ~ 2015-08-23 005

こんな風に生きよう

自己をかばうために
他人の能力をけなしつけ
自分の手柄を誇るために
他人の悪を責めたてる
そんなちっぽけな人間に
君たちはなってはいけない
人にはそれぞれ欠点はあるが
その人なりの長所が必ずあるもの
自分の失敗も消えてゆく姿
他人の嫌な行為も消えてゆく姿
欠点はすべて消えてゆく姿とみて
人間神の子の本体をつかみ出そう
人がほめられるたびに
自分の心が喜んでいられるような
そんな広い心の人間になろう
いつも他人の幸福を祈り
世界人類の平和を祈りつづける
光り輝いたそんな人間で生きつづけよう

詩集『純白』 五井昌久


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カムイモシリ ピリカ ノミ

世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます






愛することが哀しい時があつても

友よ 愛しつゞけていかなければいけない

あなたの愛がたとえ地上に燃える焔であつても

神はあなたの愛が天上界のものであることを知つている

愛は神のみ心そして地上の光明

愛することは深い喜び

愛することは深い哀しみ

この世のいのちの流れの中で

縁(えにし)美しく花開くは

人と人との愛の交わり

国と国とが愛し合えない悲哀の時代にあつても

せめて人と人とは愛し合わなければいけない

人はみな神のいのちの分れ

本来一つのもの

私とあなたは一つのいのち

私たちの愛の心が

光明となつて国に充つる時

それはやがて世界の平和を導き出してゆくことになるのだ



友よ

愛して心哀しい時があつても

愛しつゞけていかなければいけない

その愛はやがて

輝やかな喜びとなつてあなたにかえつてくるに違いない

神があなたを愛していて下さるように

あなたの愛も相手を柔らかく包んでいるに違いないのだから


詩集「いのり」 五井昌久

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地球人類の業想念が
放射能灰となって
自らの空や大地を汚しきっている時
澄み清まった躰をもつ
聖なる人たちが私たちの身辺に近づいてきた
その人たちは宇宙をそのまま住として
星々のように輝き渡っている存在者
神のみ心そのままを
自己の生活に現わしている人類
キリスト、仏陀と全く等しい光明体だ
その人々には一切の敵はなく
悲嘆も憎怒も恐怖も不安も
そうしたあらゆる業想念はさらさらない

平和を望みながら自ら世界を乱している地球人類よ
敵を見る思想の中には平和は来ず
武力に頼っている卑弱な信仰心では
神のみ心に融合することはできない

宇宙人の声はそう私たちに伝えてくる
私たちはその真理を知っている
私たちのすべての生活は
世界平和の祈り心から生れてくるもの
すべての人類が神の子であることを
身をもって現わそうとしているものだ

宇宙平和の中心者
大天使宇宙人は
今私たちの身近にいる
世界平和の祈りのひびきに交流して
地球人類救済のため
その慈愛のみ光りを
あらゆる地域に放射しはじめているのだ

私たちは祈る
世界平和を祈る'
地球人類が宇宙の聖なる使命を果すための
清らかな躰に生れ変わるようにと
私たちの世界平和の祈り言は
今日から明日へ
明日から明後日へ
益々ひろがりつづけてゆくのである



昭和30年代の五井先生の詩集「いのり」より



宇宙人の声は未だ変わらず私に響いてくる。
その声ははるか昔から変わらず
地球人類よ平和であれと応援してくれている。
その声にこたえるべく私は、
「世界平和の祈り」を祈りつづける。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様、守護神様ありがとうございます









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神なき人類の悲哀

神から離れていると云う事は
何んと哀しい事なのであろう
一度ならず二度までも
世界中の人間が戦い合って
多くの兄弟を無意義に死なせた昨日までの事を
もうすっかり忘れ去ってでもしまったように
自我欲望に盲いきった国々が
又も戦の火華を散らす

自分が死にたくないと云う事は
人も死にたくないという事
自分が自由を欲するように
人も自由を欲するもの
人を死なせて自分だけ生きようとする
人を縛って自分だけ自由になろうとする

そうした生き方は神の世界では許されもせず存在もしない
そんな判りきった倫理さえ
神を離れたあなた方には判らない
判らずやの駄々子の年端もゆかぬ幼児か
教養も思想もまるでもたぬ市井無頼(しせいぶらい)の徒のように
弱小国から腕づくで自分の欲しいものを強奪する
あわれと云うか愚と云うか
魔性の虜の三大国

力と力とぶつかり合う
修羅の姿の地獄絵を
三度び此の世に繰り返えそうと云う
大底抜けの大白痴業想念の明き盲
どんな罵倒にも値しない無明界の闇芝居

日本よ日本人よ
如何なる無明の闇の中でも
神から離れてはならない
神の子である事を忘れてはならない
業想念の波にさらわれ
修羅の巷に足を踏み入れてはならない
世界がどのように砕けようとも
私たちは心に神の光明を輝かし
世界平和の祈りをつづけてゆくのみだ


詩集『ひびき』 五井昌久



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世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

守護霊様 守護神様ありがとうございます


2015.08.17 自然に
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世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます


リラックスして自然に
やさしく力まず
明るく朗らかに
歌うような軽い気持ちでやっていく。

なにごとも力まず自然に
それはあらゆることの原則で一番自由な道。
寝ても覚めても平和の祈りが鳴り響く。
そういう人が一人でも増えることが世界を平和にしてゆく。

やさしく、本当にやさしく真実の道を説いてくれた五井昌久先生
35年前1980年8月17日、五井先生は移行しました。
今日はしみじみとそのことを感じるのであります。

守護霊様、守護神様、五井先生ありがとうございます。

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2015.08.08 日本の天命
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 日本は昔から神ながらの国といい、大和の国といい、霊の本(日本)といい、日章旗に示されているように、白地に太陽、つまり霊光がまん丸く統一されて輝いている、そういう本質を自ずと現わしているのです。
 日本という国は、調和の本質をそなえておりまして、中国文化が入ってくると、それをいつの間にか、日本文化の中に融かしこんでしまう、 ヨーロッパ文明が入ってくれば、これも直ちに日本流に調和させてしまう、というように、なんでも日本にくると調和されて、日本流になってしまう、という不思議な要素をもっています。
 各国の料理なども、日本人の手になると、なんでもこなされてしまいまして、日本に来ると、どこの国の料理も美味しく料理され、ものによると、その国の料理よりも日本人の手になったほうが美味い、という程になっています。
 そういうように、各国の特徴を巧みに融合させ調和させてしまう特技をもっているのであります。ですから今日まで、日本人の発明になるものというのは甚だ少なく、外国の発明発見を、日本人がよりよく改善してゆく、ということになっております。日本人はよく猿真似が上手だといいますが、確かに発見発明するより、そうされたものをよりよく生かしてゆく調和さいせてゆくとうことが上手なのであります。
 すべてを融和させ和合させるという、日本の本質は、大きくは世界平和ということに重大なる役目をもっているのでありまして、 どうしても必然的に世界平和へ向う智慧や方法は日本から生れてくるようになっているのです。これは現在うなずかない人がいても、後には成る程と肯かざるを得ないようになってきます。
 日本が現在唯一の核爆弾の被害国であることなどは、日本が核戦争を阻止し世界を平和に導いてゆかねばならぬことを、実証してみせたようなもので、核兵器核装備に対して日本が拒否することは、日本としては当然である、と各国に思わせる充分なる立場をつくってくれています。
 核爆撃をされることなどは、日本政府としても、日本国民としても、その日の近ずくまでは知るよしもなかったことで、すべて日本の天命が完うされるための神仕組なのです。

日本の進むべき道を誤またせるな

 そこで日本の理想と使命を一口にいうと、世界のあらゆる文明文化を融合させ、世界の完全平和の実現のための先達となる、ということであります。
 右のものと左のものとを融合させ、その和の中から新しいものを生み出す、これが日本の天命の一つなのであります。右のものに組して左のものを叩いたり、左に組して右のものを叩いたりするのは、日本人のすることでもなければ、日本国のすることでもありません。日本人はすべてを生かす中庸の道、調和の道を歩むことがその天命なのであります。
 ですから、その道を外れてしまえば日本の天命は果されないのですから、日本国は滅びるより仕方がありません。日本国が減びれば、世界完全平和実現の先達となり、中心となる天命の国は他にはないのですから、世界は滅びてしまうに違いありません。これを逆説的にいえば、宇宙は大調和にむかって進んでいるのであり、神々や古来からの各聖賢が力を揃えて、地球人類の平和達成のために働いておられるのですから、地球が滅亡することはない。だから、日本の天命は果されることになる。従って、日本は滅亡することはない。ということになり、やがては世界は完全に平和になるに定まっているということになります。
 しかし、現実の世界は一触即発の危険な状態にあり、現象的にみれば、各予言のように最後の審判的な恐ろしい事態にならざるを得ないようにみえます。
 ですから人によると、世界の平和などという夢のようなことを考えずに、如何にその場その場を他国に侵かされずに切りぬけてゆくか、ということを問題にして、日本は処してゆかねばならぬ、といっております。それには米国としっかり手を組んで、共産主義の侵略を防いでゆくことである、そのためには日本の軍備を強化することは勿論である、というわけです。
 この人たちには、日本の本質も、理想も天命も無いわけです。 そういうことはひとまずおいて、現在に処するということなのであります。 現在に処して後はどうする、そういう後のことはその時になって考えるわけです。
いつでも他国の動きによって動くわけでありまして、敵と思われる国々をすっかり絶滅させるまでは、世界平和ということは考えられないわけなのです。
 ところが、私どもの霊的考察によりますと、敵があるとか無いとかいう問題ではなく、
字宙の進行による地球渡動の変化につれて、どうしても変化させねばならぬ、宇宙観、人生観の問題でありまして、地球人類側にその変化に対応する心がまえがなければ、人間としての敵ばかりではなく、地球波動の変化による天変地異による、 大悲劇がもたらされるかも知れないのです。
 ですから共産主義国のすべてを叩きふせても、それは一時のがれのものであって、無駄骨折りに過ぎないものであるというのであります。 しかもその無駄骨を折るのには、やはり地球人類の運命をかけ、多大の犠牲をはらい、時によれば、地球人類減亡の危険さえあるのです。

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暗黒思想を消減させるもの

 問題になってくることは、やはり、世界制覇をめざして、着々と思想謀略を計っている国家や集団があることと、虚無主義的な破壊思想をもっている集団のあることなのです。
 これらの国家や集団は、日本の労働争議や学校騒動などを牛耳り、あらゆる手段をもって、日本の現在の政治体制を根底からくつがえして、自国や自分たちの思想のままに、日本を操ろうとしているのであります。
 それは単なる共産主義者たちだけではなく、もっと奥深い暗黒思想なのです。ですから表面に現われている共産主義者や、共産主義国を叩いたとしても、それでよいのではない、と私はいっているのです。
 こういう謀略をよく知っている憂国の人たちは、 その謀略を防ごうとして必死になって活動しているのでありますが、現実的には、そういう謀略を受け入れ易い状態が世界中にあり、日本にもありまして、現在の宇宙観や人生観では、とてもその侵略を防ぎ得るわけにはいかないのです。
 そこで憂国の人たちは、心痛しながらも、そういう謀略があるのだ、日本の危機だ、世界の危機なのだと叫びつづけるだけで、どうにも具体的な手が打てずに切歯扼腕(せっしやくわん)しているのであります。そこでどうしても、国内防衛のためにも、外交政策のためにも、軍備を充実させねばならぬ、というように武力に頼る方向にその主張が向いていってしまうことになるのです。
 私なども現実的な面だけをみている時には、その人たちの気持がよくわかるのですが、そういう主張がかえって、暗黒思想団体の謀略のうまい口実になり、日本の右翼が日本を再び軍国主義にさせようとしている、というような喧伝をして、民衆は大体もう戦争にはこりごりしていますので、そういう喧伝にうまく乗ってしまい、 日本の思想が分裂させられてしまうのです。
 このように、日本の思想が分裂していることが一番危険なことだと私は心配するのであります。 日本の思想が分裂していることは、何かの拍子に火がつくと、内乱にまで発展しないとはいえないのです。
 暗黒思想の謀略は実に危険であり困ったものですが、これを抑えるのに軍備というのも、業因縁の流転でありまして、これではいつまでたっても日本の平和も世界の平和も成り立たない、と私は説いているのであります。
 ですから、どこからどこまで考えても、結論としては、神のみ心の大調和精神に沿って、世界平和の祈りを根底にして、 すべての行動としてゆかねばならないということになるのであります。
 今日の世界では、今までのような神を離れた、小智才覚だけの生き方では、自分をも国をも人類をも守り得ないことが明らかになってきているのです。そのことを、 つきつめて考えて'みることが、人々にとって必要なのであります。


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「日本の心」 五井昌久著


昭和50年に出された「平和を呼ぶ声」五井昌久著であります。


40年前、あのころは東西冷戦の時、一発の核爆弾で世界が滅んでしまうという時でありました。21世紀に入ってもなお、変わらずに世界中で民族、宗教、主義の違いで紛争、テロが起こリ、苦しんでいる人々がたくさんいます。

日本人として今本当に何を成してゆかなければならないのでしょう

少し長いですが読んでみてください。

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日本自身の根本政策の確立を

 世界は一つ、という標語は、東京オリンピックのものでしたが、真実に世界が一つにならなければ、どうにもならない事態が、次第に地球人類の運命として迫ってきております。
 インドが核爆弾の実験をしたことなども、その一つのことであります。米ソ仏英中と五ヶ国だけが持っていた核爆弾は、インドが核実験をしたことで、あらゆる国々を核武装をせねばいられぬような状態に追いこんでしまうことになりかねないからです。
核爆弾の数は、現在でももうすでに、地球人類を全滅させても余りある程の数になっているのですが、これが小さな国々までも持つようになったら、いつどこで、どんなはずみで核戦争の火蓋が切られるか、はかり知られぬことになります。
 日本では目下核武装に反対しているように見えますが、世界状勢の変化によっては、いつその意見が変ってしまい、核武装国の方向に進んでしまうかも知れないのです。
 世界のどこの国もが、確固たる平和政策というものを持っていない現在の状勢は、全く砂上に築いた楼閣であって、いつ大混乱が起こるか目も放せません。
 こういう時には、他国の動きにばかり目をむけていては危険です。日本なら日本自体のはっきりした根本的な政策というものを確立しなければなりません。現在の日本の政治には根本の政策がありません。その場その場を処理するだけの枝葉の政策しかたてられておらないのです。
 日本は根本的には、米英等の自由主義国の陣営の一員としての建前が定まっている、などという政治家もいるかも知れませんが、そんなものは日本の根本の政治政策ではありません。それこそ変化変減する枝葉的政策であります。
 西欧陣営も中ソ陣営も、すべて変化変滅しているもので、地球人類の根本の生き方でもなければ、日本自体の生き方でもありません。それはただ、その場その時々の枝葉的生き方なのです。
 そんな枝葉の政治を根本政策だなどと考え違えしていまと、中国が核武装したから日本もしなければなどという、猿まね政策しかできなくなります。 日本は常に日本自体の政治政策で他国に伍してゆかねばなりません。
 確固とした根本の建前がありませんと、いつでもふわふわした落ちつかない政治政策になってしまい、日本の天命を果すことができなくなり、地球人類の減亡を止めることが不可能になってしまいます。
日本が日本の天命を完うすることができなくなれば、 日本という国がこの地球上に存在する意義が失われてしまいます。

世界は一つ

 地球上に幾つもの民族があり、百にも余る国家が存在しているのも、みなそれぞれの天命を完うするためにあるのであって、 お互いが争い合い恨み合ってこの世を渡ってゆくためではありません。 すべて地球人類に神のみ心を現わすために存在しているのであります。それが現状では全く反対でありまして、心から和合し合い、助け合っている国家や民族がどれ程あるでありましょうか、それはすべての国や民族が、自らの天命の何んたるかを知らないからなのであります。
 何人たりとも、いずれの国家たりとも、この地球を滅ぼしたいものではありません。自分たちがこの地球上に永存したいために、種々と苦心しているのです。自国が永存したければ、他国とても同じように永存したいのです。自国が裕福でありたければ、他国も同じょうに裕福でありたいのです。
 ところが、個人も国家も、どうしても、他人や他国のことは、自分や自国とは同じようには考えられないのであります。どうしても自己本位になってしまうのです。そこから地球人類の不幸が生れ出ているのであります。
 世界は全く一つなのです。他国を不幸に追いやって、自国だけが幸せであり得るわけがありません。他国を不幸に追いやったその分だけは、必ず自国にやがて不幸として巡ってくるのです。これは因縁因果の法則で、個人だけの問題ではありません。国家も民族もやはり同様の法則に支配されるのです。
 世界が完全に幸福にならなければ、一国の幸福ということはありません。幸福そうに見えてもそれは一瞬時のものに過ぎません。それは過去の歴史を通してみればはっきりわかることです。栄枯盛衰夢のごとしとは、あに平家の物語だけではありません。
 しかし人間というものは、よくもこりずに同じようなことを繰り返すものです。昨日の強国は今日の強国ではなく、武力で治めた権力は、やがて武力によってくつがえされる、という歴史的事実をいやという程みせつけられていながらも、やはりその歴史と同じようなことを今日でもやっているのであります。
 それは昔程表面きった権力欲や武力による現わし方はしていませんが、煎じつめればたいした違いはありません。いや昔以上に恐ろしい原水爆の威嚇による権力保持の国々があるのであります。

日本は核武装をしてはならない

 今日の国家間の権力争いは、直ちに地球世界滅亡のスイッチをひねったと同じことになります。 攻めるも守るも、今日程はっきりと武力をもってしてはいけない、とわかりきった時代はありません。
 敵の攻撃を防ぐためにはどうしても武力を増す必要がある、というならば、中国が米国の原水爆の威嚇の前に、自国も原水爆を持って対抗する、といっても、これを非難することはできません。もし非難でき得る国があったら、その国は原水爆に限らず、敵に対するとして如何なる武力の増強もしてはいけないことになります。
 日本がもし、中国を烈しく非難でき得る立場をとるとしたら、自らが絶対に武力の強化をしてはならぬ立場をとってからでないとできないことなのです。何故ならば、敵に対抗して武力を固めるという立場を取っている以上は、やがては必ず原水爆を保有しなければならなくなります。
 世界の武力は日増し年増して強化されることは間違いないことで、こうした世界の武力に対抗するには、ただ単なる武器や兵力の増強だけでは到底間に合いっこないからです。世界の武力は、好むと好まぬとにかかわらず、核兵器時代になります。もうそうなりかかっています。その時の日本の態度が一番大事なのです。
 如何なる国々が核兵器を持とうとも、日本は絶対に核兵器を持たぬ、という固い決意が日本の政府になければ、これは大変なことになります。日本の天命は全く果されなくなります。
 それだから、現在からもっとしっかりと根本の在り方を定めておかねばならぬというのです。今迄も何度でも申し上げておりますように、日本は大和の国であり、日の本(霊の本)の国であります。世界を平和にするための中心となって働かねばならぬ天命を持っております。何がなんでも、世界の闘争の渦に巻きこまれてはならない、という大決意がありませんと、もし敵が攻めてきたら、それを防ぐためという名目で武力を増強してゆきます。そういう想いがある限りは、限りなく武力の増強をつづけなければなりません。それはやがて核武装につづいてゆくのであります。
 そういう線で軍備を考えている人々が、核武装は絶対にしない、といい切れるものではありません。それはその場限りの言葉であって、絶対などという強い決意のある言葉ではありません。武力増強という考えは、現在の一番最高の力である核兵器にまでたどりつくことは理の当然でありまして、どうしても世界の武力競争に押されて、そこまで行きついていってしまうのです。これが業想念波動の恐ろしいところなのです。.
 日本が滅びるか滅びないか、地球が減びるか減びないかという時なのです。そうした一時逃れの言葉や考えで政治家が事を運んでゆくようではたまりません。
 日本はあくまで、大調和達成の中心国であり、世界平和樹立の指導国でなければなりません。嫌でも応でも、日本はそうした天命を持っているのであります。
 今日まで核爆弾の悲惨な洗礼を受けたのは日本が唯一の国です。何故日本だけが唯一の原爆洗礼国となったのか、それはいうまでもなく、日本の天命を日本人にはっきり示すがための神のみ心でなくてなんでありましょう。
 こんな悲惨なこんな悪魔的な武器を、絶対に人類に使わせてはいけない、という神の慈愛のみ心を、いやという程、日本人の心に沁みこませるためであったのです。日本こそ日本人こそ、真に完全平和を望み、世界平和のために、如何なる武力の威嚇も、武力の誘惑にも把われず、真っしぐらに、天命の道を突き進んでゆかねば、日本も世界も減亡の淵に追いやられてしまうのであります。

平和世界を築くためには勇気がいる

 しかしながら、平和世界を築きあげるということは、個人的にも人類的にも、実に大変に勇気のいることであって、単に戦争は恐ろしいから嫌だなどというような、弱気からでた平和論では駄目なのです。真に平和世界をつくりあげるためには、 武器を持って戦う以上の様々なる勇気ある行為が必要なのです。
 自分の心に湧き上がる憤満や怒りや恐怖に勝たねばなりません。他から仕向けられる挑発行為や侮辱にもよく耐え得なければなりません。
 昔キリスト教徒が、十字架上の処刑を覚悟で、キリストの踏絵を踏まなかった行為とか、その反対によく自已の行為として為し得るかどうかを、しっかり自分の心に確めてみなければなりません。
 それ程の勇気がなければ、軍備反対などと大きな声でいえるものではないのです。ただ単に生命が惜しいから、悲惨な事態が起こるのが嫌だから、戦争を起こす軍備はしないのがよいのだ、ぐらいでは、とても自国が他国に犯かされる運命を防ぐわけにはゆきません。地球世界に渦巻く業想念波を、そんな生易しい想いでは、とても防ぎきるわけにはゆきません。各国各民族が持つ権力欲や物質欲は、それを代表した大国間の戦争行為となってゆくわけで、武力の優劣が、その国家の発言力や主張の裏づけとなっているのです。
 ですから、各国が武力を増加しようとするのです。各国の武力に和して、しかも自国は武力無しでいこう、というのは、各国の武力以上のなんらかの力がなければなりません。

武力増強よりまず国民を平和精神に結集させよ

 軍隊の無い独立国は存在しない、だから日本も確固たる軍備を持たなけりやいけない、というのが自衛隊をはっきりと軍隊として、軍備の増強を計るべきだという、憲法改正論者の論議です。
 今日の世界情勢からみれば尤もなる議論であり、これを否定するからには、武力以上の力を持ち得る方法を知っている人でなければならないということになります。・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・

 ただいたずらに軍備撤廃とか、核兵器廃止とかいっていても、それは各国の心を打つほどのものとはなりえないのです。それを言うなら先ほども私がもうしましたように、自国がすべての軍備を撤廃してでなければ大きな声では言えないのです。
 そういうことを言うよりも先に、否、同時でもよい、真実自国が丸腰になっても、一兵の軍人がいなくとも、世界の武力に和してゆけるという強い信念、たくましい勇気がなければならないというのです。もし、日本が全く軍備がなければ即座にソ連などが侵入してくるかもしれないのです。そして、日本国土において、米中ソの日本争奪戦が起こるかもしれないのです。といって軍備増強したためにかえって、日本が中ソの核兵器攻撃を受ける立場になるかもわからないのです。しかしどんな事態が起こっても、自分たちの平和を祈念する気持ちは真実の人間の生きる道なのだ、という強い信念のもとに国民の気持ちを世界平和の一念に結集させなければなりません。国民の気持ちを、何を置いても世界平和の道を進まなければ、というほどの固い決意にまで持ってゆかずにいて、軍備増強を否定するだけでは、とても国の安定はできません。
 まず国民の気持ちを、世界平和を祈念する想い一筋に結集する運動を推進し、軍備のことや外交問題のことは、そのあとのことにしていくことが、民間指導者としての賢明な道であると思います。





私は一人の日本人として
「世界人類が平和であれ」という神の御心をこの地上に表わすために、祈りによる平和運動をこれからもたゆみなく続けていきます。

INFINITE STRENGTH

INFINITE COURAGE


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今から40年以上前の、昭和50年出版の五井昌久著『平和を呼ぶ声』から、世界情勢と日本の立場よりその一部を抜粋しました。


世論を真実の平和に結集させよう

 ソ連の科学者の一人は、この銀河系宇宙には、太陽のような恒星が千億以上もあり、その銀河系宇宙と同様な星の大集団は、更に約千億もある、といっています。こんな尨大な宇宙の中に、地球以外に思考力をもった生物がいないなどと思うのは、それこそ奇蹟的な考え方である、といって、地球以外に人類のような生物がいない、と思っている人々を嗤っています。
 これはどういうことかといいますと、現在の地球はもはや、単なる一地球ではなく、宇宙の一環としての使命をもった地球である、ということなのです。自分たちが好むと好まざるとにかかわらず、地球は宇宙のーつの星であることは事実なので、この地球というーつの星は、やがて、宇宙にある他の星々と交流し合い、そこに生存する生物と交流することになるのです。それは夢物語ではなく、やがて事実として現われることなのです。 私はそういう真理を宇宙人との交流によって知っているのです。
 そういう時が近づいているのに、地球の指導者たちが、単に自己の権力を保持しようとして、常に戦争の恐怖を、宇宙にまき散らしているということは、真理を知らぬ白痴的な生き方なのであります。
 今こそあらゆる戦争を否定する政策を各国がとらねばなりません。特に大国は戦争否定の政策に踏みきる必要があるのです。それにはまず国内の世論を切実に平和を願う世論に統一しなければならないのです。 それが出来なければ、その国は大国としての価値を失っているのであります。
 世論の中に、自国の権威を守るためには戦争も辞せぬ、というものがあれば、どうしても、そうした威勢のよい言葉のほうに人々はひきずってゆかれます。 大国の戦争は必ず大戦争にひろがってしまうのですから、 何事をおいてもこれを止めなければならないのです。
 しかしながら、人間の想いの中には、ブライドがありまして、この自尊心を傷つけられるなら、死んだほうがましだ、という気持がありますので、ここがなかなかむずかしいところなのです。

大調和精神に生きよう

 日本の立場から申しますと、只今憲法改正の問題が出ておりまして、自民党系と社会共産系とが、ハッキリ立場を異にしておりますし、政治間題にあまり関係していない有識者の間でも大きくは二つに、あるいは改正するにしても、どの点をするかなどについて様々な論があるようです。
 憲法となると、国民すべての上にその責任も義務もかかってまいりますので、これは真剣にならざるを得ないのですが、一般大衆は意外なほど関心を示しません。関心を示そうにも第九条一つを取りあげてみても、どちらがよいのかハッキリ自分で割り切るわけにはいかないようなのです。
 第九条の軍備を持つことにするかしないかの問題は、 すでに自衛隊という軍備に等しいものをもってはおりますが、現憲法上では軍備ではないわけです。そこで、どこかの国と国とが戦争をはじめても、国連軍として、その地に派遣される軍隊は日本には現在ないことになっているので、行かなくとも済んでおります。これが正式に軍備を持つ憲法になれば、国連の要請によればすぐにも軍隊を派遺しなければなりません。 インドシナの場合など即座に派遺するようになったであろうと思われます。
 ところが一方、現在のような自術隊では、独立国としての威信にかかわる、独立国はれっきとした軍隊を持つべきで、自国の防衛を米国にばかり頼っているものではない、自分の国は自分で守るべきだ、という改正論があるわけです。米国は勿論その理論に賛成なわけです。そしてそれに反対なのが、ソ連、中国というわけです。日本を中にして、米国とソ連中国はやはり対立論争をしているわけです。ですから、日本の立場は軍備があるとかないとかいう問題ではなく、国内がもっと何か一つの目的のもとに統一されていなければ駄目なのであります。技術的なものでなくて、精神の根底が確固としたものでなければならないのです。
 それは何か、核兵器の恐しさを身をもって体験した日本こそ、完全平和達成の旗印のもとに国民の心を総結集しないで、他になんの方法があろうというのでしょう。世界平和の大悲願こそ、日本人すべての大目的なのであります。枝葉末節的な言葉に耳をかす必要はありません。完全平和達成にむかって日本国民の一大結集こそ、世界の運命を神のみ心にしっかりつなぎ得る大光明の道なのです。そのために、 一人一人の世界平和の祈りが実に大事なことになってくるのであります。
 世界平和の祈りと平和の科学、この二つの道こそ世界を真に救い得る道なのです。人々は小乗的な論争を止めて、ただ一念世界平和を祈願する、日本本来の大和の精神に生きるべきなのであります。

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私たちの考え
私たちは、人間とその生き方については次のように考え、実行しております。
『人間に真実の姿は、業生ではなく、神の分け命(分霊)であって、常に祖先の悟った霊である守護霊と、守護神(大天使)によって守られているものである。
 この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤った想念が、その運命と現れて消えてゆく時に起る姿である。
 いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難の中にあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである。

世界人類が平和でありますように
日本(祖国)が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様 有難うございます
守護神様 有難うございます







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・・・・・・・・・・・・日本の国民の大半は絶対に戦争はしたくない気持です。なかには、たとえ共産主義圏の支配下になっても、戦争をするよりはよい、という人さえいます。実際に共産主義下の圧制政治を味わったことのない人は、実際に体験した戦争の恐怖にくらぶべきもないのでしょう。
 たとえ共産主義の政治が悪魔のような圧制政治であっても、恐怖と死とが同時におしよせてくる戦争の恐ろしさよりも増しだ、と思うのも無理のないことです。日本人は心の底から戦争を恐怖しているのですから。日本ばかりではない世界中が、日本流にいえば、八方ふさがりの状態で、その場その場の成り行きに合わせて生きているという状態なのです。
 そうしているうちに、世界はいつの間にか大宇宙の運行軌道を外れきって、滅亡の彼方に進んでいってしまうかもしれないのです。日本はここで、一大勇猛心を起して、世界のどこの国でも行なっていない、 一億総力を挙げての平和の祈りをつづけていったらどうかと思うのです。日本には他になんの想いもない、ただひたすら地球世界の平和を願うだけなのだ、ということを、終戦時の一 億総ざんげではないが、そういう方向に国民の心を結集させてゆくのです。
 これは民間側と政府側と、異なった角度でもよいから、日本人全員は、世界の平和だけを願っているのだ、ということを、諸外国に徹底させて知らせることが大事なのです。日々一瞬々刻々、つねに世界平和のこころが国中に世界中にひびきわたっている、ということが必要なのです。悪いことばかりを描き出し、対立抗争のニュースばかりを流さないで、新聞やラジオやテレビや週刊誌やすべてのマスコミの活動が世界平和ということを中心にして報道するのです。
 日本中を平和のひびきで包んでしまうのです。これはやればできないことではありません。自民党が悪い、社会党が悪い、中共が悪い北鮮が悪い、という悪い悪いという抗争精神はひとまず隅において、日本の平和精神を外国がなにをいおうとおかまいなしに、徹底させてゆくのです。
 政府与党としても、なにも戦争の方向に国を進ませようと思っているわけではなく、米国との国交上や、共産主義国の侵略防止のための自術手段を取りたいだけなのですから、徹底した反共策を取っているわけではないのです。このへんからはあまり対立抗争のほうに進まないで、国内の平和運動のほうに重点をむけてゆく必要があるはずです。平和運動というのは左翼主義者の看板である、という印象をスッキリとぬぐい去って、真の平和連動を、政府自らが打ち出していって、どこが悪いというのでしょう。ロ先ばかりで平和を守るとか、憲法は改正しないとかいったって、国民も共産主義国側も納得するわけがありません。
 米国や韓国とはその点ではっきり一線を劃して、 日本独特の生き方をすることが、 かえって世界の信用を得ることになるのです。なんでもかでも外国とのつり合いによって行なうというような、自主性のない生き方では、日本の天命は完うされません。.
 日本独特の平和運動をするためには、心の底から地球世界を滅亡させてはいけないのだ、ということを思わなければなりません。少しぐらい日本の利得が失われても、地球を滅ぼしてしまう方向に向うよりはよいのだ、 とはっきりと政府も国民も割りきってかかることが必要なのです。
 その日その日が無事にすめば、後のことはまた後でどうにかなる、などという自主性のない、頼りのない生き方では、現在の世界の荒波に処してはいけません。日本人が一丸となって、世界の救世主になって、平和世界を現出させなければ、他のどの国にもそれはでき得ぬことなのです。なぜかと申せば、いつも申しておりますように、日本の天命が大和世界をつくることにあるのですから、日本が世界平和のイ二シアチーブを取るのは当然なのです。そのためにこそ、日本が最初に原爆の洗礼を受け、身をもって戦争の悲惨、しかもこれからの戦争の大惨事を体得させられたのです。
 これもすべて神はかりにはかりたもうてなされていることで、地球世界は必ず最後には、平和そのものになるのです。そのためには、各自各国が自己や自国の天命完うのために働かなくてはならないのです。米国はすでに物質経済のため、世界の物質文明のために大きな働きをしてきているのです。それが米国の天命ともいえるのです。こんどは日本が自国の天命を完うする番になっているので、世界を戦争の災禍から救うための大きな働きを、国民挙げて達成してゆかねばならぬのです。 共産主義国を滅亡させれば世界が平和になるなどという、米国式の愚かな考えを捨て去って、あらゆる国々を包含した、真の世界平和達成のために、私どもは神々の加護を願いつつ、日々の生活を送らねばならぬのです。一日も早く、日本中が、世界平和の祈りを、日々の行として生活してゆけますよう祈らずにはおられません。


昭和43年3月 五井昌久著『日本の天命』より

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世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように

無限なる感謝